大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成8年(行ツ)88号 判決

東京都千代田区一番町二三番地二

上告人

共立酒販株式会社

右代表者代表取締役

古市滝之助

同杉並区高円寺南三丁目四二番一四号

上告人

合名会社杉並酒販

右代表者代表社員

古市滝之助

右両名訴訟代理人弁護士

井上励

和田元久

東京都葛飾区立石八丁目三一番六号

被上告人

葛飾税務署長 澤田利成

同杉並区成田東四丁目一五番八号

被上告人

杉並税務署長 管野俊夫

右両名指定代理人

山岡徳光

右当事者間の東京高等裁判所平成七年(行コ)第四三号酒販免許不許可処分取消請求事件について、同裁判所が平成七年一二月二七日に言い渡した判決に対し、上告人らから上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人亀田信男の上告理由、同井上励の上告理由、同和田元久の上告理由、上告人共立酒販株式会社の上告理由及び上告人合名会社杉並酒販の上告理由について

酒税法九条一項、一〇条一一号の規定が憲法二二条一項に違反するものということができないことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日判決・民集二九巻四号五七二頁、最高裁昭和五五年(行ツ)第一五号同六〇年三月二七日判決・民集三九巻二号二四七頁)の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和六三年(行ツ)第五六号平成四年一二月一五日第三小法廷判決・民集四六巻九号二八二九頁、最高裁平成六年(行ツ)第七六号同一〇年三月二六日第一小法廷判決・裁判集民事一八七号登載予定及び最高裁平成九年(行ツ)第九七号同一〇年七月一六日第一小法廷判決・裁判集登載予定参照)。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 遠藤光男 裁判官 小野幹雄 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)

(平成八年(行ツ)第八八号 上告人 共立酒販株式会社 外一名)

上告代理人亀田信男の上告理由

はじめに、

上告人らは原判決の事実誤認、憲法違反、及び法令違背につき、次に順次論証するものとする

先ず、原判決は弁論当初から異常づくめであった。

平成七年七月三一日、第一回口頭弁論の数日前に約九千八百字の控訴準備書面(一)を提出したその当日、十二万七千字の準備書面(二)を提出した。数日前の準備書面(一)は仮に読んでいたとしても、同(二)は上告人らが数ヶ月を費やした力作と自負していたものである。

ところが、原審の裁判長はこの第一回の弁論だけで、結審しようとしたのである。

辛うじて第二回の弁論期日である同年一〇月二五日、先の最高裁判決を批判した一六人の法律家の論文を付して(添付書類)、約一万二千字の控訴準備書面(三)として提出した。同日に被上告人(被控訴人)らからも準備書面が提出されたので、これに反論したいと申し入れたにも拘わらず、原審はこの第二回弁論で結審してしまった。

但しこの時、上告人らが反論の機会が欲しいという要求したのに対し、一ヶ月以内に出せば読むからと云ったので、やむを得ず結審に応じたという経緯があった。そして約一万七千五百字の最終準備書面(四)を提出したのであった。(上告人らは別に字数に拘っている訳ではないが、この他にも原審では、九〇余点の証拠も添付して、同時に、詳細な証拠説明書も提出した)

処が、原判決を読む限り、少なくとも、上告人らの準備書面を読むと云った、裁判長の言葉とは裏腹に、何処をどう、みても上告人らの主張に一行たりとも触れていない。それではと証拠の類を詮索してみても、これまたその一点でも触れた形跡はまったくみられない。

誇り高い東京高等裁判所の裁判官が、東京地方裁判所の、一審判決の字句の類を、訂正しただけで、自分の意見の片々すら見えてこない。

一、原判決の異常性

上告人らは原判決訴訟指揮をばかり論難するものではない。

例えば原判決七枚目表六行目で

「当面は、参入規制の緩和に向けて運用改善を進めるべきであるとしていることが認められるのであってーー」と判示している。

新規参入の運用改善とは、要すれば、新規免許の下付状況をいうのであろう。また、事実それしか判定のしようがない。それは次項で詳述するように、昭和二一年当時の日本中が飢餓状態にあって現在(九四二二万キロリッター)の二七分の一(三四万キロリッター)の酒類の数量を販売した時の条件に戻して(甲二二号証の酒のしおり三七頁の昭和二一年の免許場数八万四七八六場・以下単に酒のしおりという)計算される方式(夜間人口千五百人で一場とする)が何故

「現時点に於いて直ちに不当なものであるとまで断定したものでないことは明らかであるからーー」(原判決七枚目表九行目)

となるのであろうか、とうてい理解することができない。

運用改悪なら随所にあるが、どこで運用改善が進められたというのであろうか。

次項で詳述するが、本件処分時の平成四年には、今から十三年前から七年間(昭和五四年から六〇年まで五一四三場増加)の平均の五分の一弱に、直前七年間(昭和六一年から平成四年まで一一五三場の増加)の平均でみても約五分の一弱に激減させてしまっているのである。

それがどうして「不当なものとまでは断定できない」のであろうか。

不当そのものとしか云いようがないのではあるまいか。

その点、原判決はどこを向いて何を云っているのか、その判示の意味がさっぱり判らないのである。それとも上告人らの長文の控訴準備書面の悉くが斟酌するに足りないというのであれば、それならそれで自信を以て、その理由を判示すべきではないかと思う。それでなければ名誉ある東京高裁の判決文足り得ないのではないかと思う。

また、乙一〇号証を取り上げて

「昭和一三年の酒税法改正案について、政府は、酒税の保全を期するため酒販業につき免許制を採用することにした旨の提案趣旨説明をしていることが認められるからーー」(原判決五枚目裏九行目)

事情はともあれ五十七年前のことであり、日本中が軍国主義へ突き進んでいた、そのただ中での政治家の演説であり、それでも酒税の滞納は現在と殆ど変わらない、〇・一〇八%であったと云っているのに、どうして「酒税の保全」という判示が出てくるのか、上告人らの遥か理解の外にある。

つまり、五十七年前には理由があったから、今も理由があるとして、それを根拠にしようとするのだったら、こんな恐ろしい理論はない。まして、明治憲法下にできた現行の酒税法が、そのまま今日に及ぶとしたら、それは理論以前の問題で、むしろ危険思想と云わねばならない。

その上、その主たる目的が酒税の保全というのであっては、ナンセンスというしかない。それは原審が上告人らの控訴準備書面を全く読んでいないという証明にはなっても「始めに棄却ありき」を否定することは到底できない。

それだから、憲法適否を審議しようというのに一回の弁論で終結しようとしたり、読むからというから幾日も徹夜して長い控訴準備書面(二)を作成して提出すれば、全然読みもしないで棄却できたのであろう。

何故ならば、もし、控訴審が上告人らの準備書面を多少でも読んでいたら、前述の「参入規制の緩和に向けての運用改善」も、「現時点では直ちに不当なものとはいえない」も、五七年前、「政府は、酒税の保全を期するため酒販業につき免許制を採用することにした旨の、提案趣旨説明」も、すべて上告人らによって論破されているのであるから、それを否定した後でなければ、判決にならない筈である。すると原判決には、その他に読むべき判示がないのであるから、これは欠陥判決という外はない。

いずれにしても単なる異常では済まされぬ、これはまた、甚だ異常な、不思議な判決であった。

二、各地方裁判判決と免許交付の関係

酒販免許が裁判上で争いになり、最初に下った判決が昭和五四年四月であった。それから本件の拒否処分があった平成四年七月までの一五年間を、各地の判決と、酒類の消費量の増減と、各税務署の新規免許の交付状況を次に概観してみる。(何れも前年対比)

年度 免許増加場数 消費量の増加 判決(発表) その他

昭和五四年 一〇三四場 三八〇千kリットル 東京地裁勝訴

同  五五年  九五四場 ▲三一三 同 酒税値上げ

同  五六年  八九八場 九六   同

同  五七年  六二七場 三四七  同

同  五八年  五九九場 二五四  同 青森地裁敗訴(昭和六〇年発表)

同  五九年  六二四場 ▲三六〇 同 東京地同(同六一) 酒税値上げ

同  六〇年  四〇七場 二九一  同 千葉地裁敗訴(同六一)

同  六一年  二〇二場 一九〇  同 東京高裁敗訴(同六二)

同  六二年  一一八場 三七五  同 同敗訴 (同六三)

同  六三年  一四一場 五八〇  同 横浜地敗(同六四) 酒税法改正減税

平成 元年  一三七場 三一〇  同 仙台高裁敗訴(平成二年発表)

同  二年  四〇三場 二〇五  同 静岡地裁敗訴(同三年)

同  三年  ▲ 九場 二〇一  同 青森地裁敗訴(同四年)

同  四年  一六一場 一六四  同 最高裁敗訴 (同日新聞発表)

(右は何れも、全酒類小売の場数と販売量を酒のしおり・二一頁と、三七頁より引用して前年対比したものである。但し、平成三年度には、三〇一〇場も減少させているが、被上告人ら国税側の説明によると、卸との小売との加除でカウントが違う等と言い訳するから、全酒類販売の合計で算出した。また、昭和五四年度の全酒類小売販売免許者は一三万三六〇五場であり、平成四年度は一三万六五四五場であるから、三九七四場の増加(三%)である。同じく、酒類の販売量は、昭和五四年度が七〇八万キロリッターであり、平成四年度が、九四二万キロリッターに増加したのだから二三五万キロリッターの増加(三三%)である)

右の一覧表から明瞭に読みとれるのは、昭和五四年から六〇年迄の、七年間の免許場の増加は、年間平均で七三四場であった。それが合憲判決が公にされた、昭和六一年度から平成四年迄の七年間は、年間平均で一六五場と、約四・四分の一に激減させてしまうのである。(これは、実に七七・四%の減である)

その間に、二度の酒税値上げがあり、一度の酒税法改正による減税があった。増税の年は消費量が減り、減税になれば極端に伸びるた実績は右の表から読みとれる。

昭和五四年度から平成四年度まで、販売数量で、三三%増加していて、酒販免許場数が三%しか増やさなければ、誰が考えても免許権の利権は上昇する。それだけ新規参入の道が狭められるわけだから、資本主義の原則として当然である。それが時には利権の温床にもなってしまう。

それに本表にみるように、昭和五四年から平成四年迄で、二三五万キロリッターの増加と一口に云うが、昭和二〇年には八万余の酒販店で、三四万キロリッターの酒量を販売していたことを思えば、この間の増加分だけで約七倍にもなり、それは隔世の感がある。その差を故意に隠して、徒に免許制の効用を説くのは、大衆を欺くものであり、詭弁も甚だしいと云わなければならない。

そして見逃せないのが、このような時代に沿って下った各地裁での、酒販免許事件の合憲判決とその発表の時期である。

その一つは昭和五八年の青森地裁から始まったが、早速これに力を得た作間忠雄明治学院大学教授が、「営業許可制の一考察」と題して、声高々に合憲論をジュリスト八〇九号に掲載したが、これが東京高裁昭和五四年(行コ)五四号事件の控訴人(国税)の準備書面のコピイだったことが判明して、同教授が被控訴人(角田酒販(株))に指弾されたという経緯があった。

さらに、その直後ジュリスト同号、同八三四号では、小林孝輔、岩崎政明の両教授が各々酒販免許制の憲法適否を巡って違憲論の論陣を張るにおよんで、この争いはその後留まる処を知らず、延々と今日まで続いている。

ここで注目しなければならないのは、青森地裁の合憲判決を最初に俎上に乗せて批判したのは、昭和六〇年、一橋論叢九四号で三木義一静岡大学助教授(当時)の「酒販免許制の合憲批判」であった。しかし、その後続々と各地で合憲判決が出るに及んで、国税の恣意的行政はその極に達した感がある。

その合憲判決が出る度に(例えば五〇〇から四〇〇へというように)毎年一〇〇台づつ減らしていったようである。ここにも国税の合憲判決を奇貨とした恣意行政がある。

その結果として前述のとおり、新規免許の増加率は、平成四年には、右判決の十年前の平均の約五分の一に、処分直前の七年間の平均でみても、ほぼ、同じように激減させてしまったのである。

それは取りも直さず右の表に見るように実に見事に、各地の合憲判決と、その発表の時期と酒販免許下付の圧縮状況とが、絵に書いたようにリンクされているのである。

このような状況の元で、外から全消費者と全納税者の嵐のような免許撤廃の要請、内からは静かながら国税を除く全行政からも大幅緩和せよとの大合唱の中でさえ、国税は右にみるように平然として耳を貸さず、ただただ免許の交付を圧縮する方向でのみ行政してきた。誰が見ても、結果としてのこの表には絶望的である。

ここに各地の酒販免許の合憲判決を奇貨とした、国税の横暴ぶりを見ない人はいないのである。

最も古い新聞記事は昭和五四年四月に、既に「酒の自由販売に突破口」と報じている。

そして最も新しい記事が平成七年一一月一七日の日経新聞で、これまでの大幅緩和では望みなしとみた行政改革委員会・規制緩和小委員会は「酒・たばこの免許制に関しては、現行規制維持のための理由が見出せない」と一歩大きく踏み出した報告を出して五年後の撤廃を明記しているのである。これまでにかかる勧告を無視して、上告人らに無用な苦痛を与え続けて何年になるというのであろうか。

しかし、そこには裁判所の合憲という因果関係を抜きにして、酒税法の是非を問うことはできない。

違憲性の存否も実はこの隠された国税の恣意の中にあると云えよう。

さもなければ、昭和三〇年代も四〇年代も毎年約一五〇〇場位づつ、五〇年代になっても、前半は約一〇〇〇場近く、後半は約五〇〇場位の免許を毎年増加させてきたものを、昭和六一年からは極端に二〇〇台へ、一〇〇台へと減少させるだけで、それで透明性を増したと自画自賛することは、いくら厚顔の国税でも出来なかった筈である。因みに昭和五〇年代も、六〇年代も、平成に入ってからも酒類の消費は多少でも増加を続けているのである

このような時、最高裁が内容的には大変示唆に富む判示をしながら、結果に於いて「合憲」という、裁判所のお墨付きを頂いて国税に、更なる恣意的行政を可能にしてしまったことは返す返すも残念である。

三、酒税法一〇条一一号の違憲性

本件は酒税法九条と一〇条一一号を争っている事件であるが、国税が如何に、恣意的行政をしているかの実態に迫る意味で、敢えて次に新取扱要領の欺瞞性について検証する。

酒税法一〇条一一号が需給の調整に役だっており敷いては酒税の保全に効果があるという理論は、一般大衆を欺くものである。もし、被上告人らのいう酒税の保全を優先させるなら、先ず、不良債務免許者を排除しなければならないし、需給の調整を優先させるなら、人口よりも飲酒量に比例させなければならない筈である。

例えば、千代田区は四万二千余の人口で、四十五万人分の酒類の消費量を誇っている。これを同一視して一五〇〇人に一場というのでは、千代田区にはたった二七場あれば足りるという結果になり、如何に透明度を吹聴しても、ナンセンスとしか云いようがない。(現実には、麹町・神田両税務署管内で百場くらいあるらしい)

ちなみに、台東区(東京上野・浅草両税務署管内)は人口が一六万三千人であるが六万一九五六キロリッター消費している。これは一人当り三八〇リッターになる。一方全国平均の一人当たりは一〇一リッターであるから約三・八倍になる。

これを同じ一五〇〇人で除せば、そこに三・八倍の逆バランスが生ずることは八才の童子にも見やすい道理である。このような平等のように見える不平等を被上告人らは百も承知しながら、平然と惰性して、その罪を犯し続けてきたのである。

ここにもこの国税通達要領の決定的な欠陥がある。そして前述のように、平成四年にはたった一六一人ばかり増加させて、それで総ての勧告に忠実に対応したという詭弁は、当の小売酒販免許者と国税以外に一人として理解できない。

このような国税のトリックは、それが合憲であるか、どうかの前に既に人道的にも許されない、というべきである。何故ならば、これまでに再三指摘してきたように、現在の一〇分の一の酒の量を二・四六倍の人で売っていた五七年前の先輩たちに対して、それは不遜であり、失礼であり、時には犯罪的であるからである。それは酒税法の本来の趣旨にも大きく背くものと云わざるを得ない。

そこで、更に国税通達の内容をみてみると

1、酒販免許の取り扱い

国税のいう規制緩和推進要項を具体化すると称して、透明性と公平性を確保すると云うが、その結果本件改正から今日まで、六年間で全酒販小売でマイナス七三六場、合計で三〇三五場増加させたに過ぎない。合計というのは駅のホームのキオスクや、薬味酒専門店、媒介業、代理業、ビール卸等も含む訳だから、消費者には直接関係ない場合も多く、国民の実感には程遠いものである。

翻って同じスパーンの六年間でみると、昭和四五年から五一年が一万一五九場と現在の三・四倍、同五一年から五七年では六一〇八場と現在の二倍の場数をそれぞれ増加させてきた。

それでは、どうしてこんなことになったのかを国税OBの元酒税専門家に聞けば、それは合憲判決が出たからだと云う。

このように国税は裁判所の合憲判決を奇貨として、平然とかかる数字のトリックを犯してきた。ここにも、国税の恣意的行政は極まったというべきである。

2、小売販売地域の見直しについて

ここでも国税は新しい取り扱い要領を錦の御旗にして縷々透明性を説きたいようであるが、結果として、このような要領の出る以前の方が、新規免許の許可件数が遥かに多いのだから、羊頭狗肉にして、その運用は不透明極まりないというべきである。

従って口では如何にきれい事を云っても実際に、結果として前述のように小売店舗を減らし、消費者に関係のない免許を増加させてみても、それは数字を弄ぶだけで、大衆の目を欺くばかりである。

3、いわゆる人口基準について

(一)人口割でA地区で一五〇〇人に一場、B地区が一〇〇〇人に一場、C地区が七五〇人に一場となって被抗告人らは益々透明度が増したと自画自賛したいようであるが、果たしてそうだろうか。

ここで騙されていけないのは一五〇〇人に一場というのは、全国で八万場で足りるということであり、一〇〇〇人が一二万場、七五〇人でも一五万場ということである。(一億二千万人を千五百で除す)

昭和一三年に三三万もあった場数が全部C地区にしても、五十七年経た現在でその二分の一にも満たないのである。しかも、数量では一〇倍売っているのにである。政府の関係機関が大幅に開放しろという意味は、この程度のものとは到底思われない。

上告人らは昭和一三年当時を、違憲だったとは云っていない。ただ、如何に倒産が相次いでも酒税の滞納は〇・一〇八%だったと云っているに過ぎない。また、立法の過程では滞納の恐怖からより、庫出課税に伴う酒造業者との一種の取引だったという次第は、前にも書いたとおりである。「酒のしおり三七頁」を見れば昭和一三年には酒販業者が三三万七千人もいて、現在の一〇分の一(同二一頁)の酒の量を販売していたのである。それでも滞納率は現在と殆ど変わらないコンマ以下だったのである。それが今、酒販免許制を撤廃したら直ぐにも酒税の滞納が激増して大混乱するという、国税の云う根拠がどうしても理解できないのである。また、今村成和先生(元北大学長)が、静岡地裁での証人席で、

「何時から、この違憲状態が続いていると思うか」

という裁判官の質問に対して

「新憲法下の昭和二八年の酒税法改正時から」

と明確に証言しておられる。

(二)ここで上告人らの代表者は、多少アメリカでの清酒製造事業に関係しているので、その情報を正しく披瀝しておきたい。確かにアメリカにも免許制はあるものの、納税者や申請者の実感としては、殆ど届け出制に等しい。それは主として人(会社)に与えるものだから、販売場にはそれ程の制約はない。大抵の場合数件以上を所有しており、それが一人としてカウントされているから、単純に日本とは販売場数の比較にはならない。それに大量販売店には殆ど全店に安い酒が置いてある訳だから、その一店当たり販売量たるや日本とは比べものにならない位莫大である。ちなみに、アメリカでは五百平方メートル規模以上位の、食品スーパーで酒の置いてない店を見たことがない。

それが日本では信じられない事だが、八七〇〇店ある大手スーパーで、未だに一六五〇店(一八・九%)しか、酒販免許を持っていないのである。さらに、四万六五〇〇店あるコンビニエンスストアでも、六七〇〇店(一四・五%)にしか免許がないのが実態なのである。これはどういう事かと云うと、酒販組合と国税が癒着して安売り業者をボイコットして免許を与えないからなのである。

むろん、アメリカの酒類管理法は酒類管理庁が司るのが通常で、これに主として市町村、検察官、警察署長、食品・薬品検査局、保安官等が関与して場合が多い。少なくとも国税が酒販免許制度に入り込む余地はまったくない。

また、日本とは比べものにならない程、例えば一回の不渡りでも出せば、免許取消要因は徹底している。

日本の酒税法は、この最も肝心な不良免許者の取消規制が抜けていて酒税の保全が万全な訳がない。ここでも既にその目的に於いて破綻していると云う外はないのである。

(三) 国税は弱小小売店の経営を標準にして酒販免許者の窮状を訴えたいらしいが、それは全く逆で、国税が酒税法一〇条一一号を盾にスーパー、コンビニに免許を与えないものだから、酒販業界が活性化しないのである。ここにも国税の既得免許者の保護にのみ急で、肝心な酒販市場を見ない誤りがある。

もし、それにより窮乏する人があれば、それは別途な方法で救済すべきであるし、その方法は現在の小売酒販組合の力量を以てすれば、可能である云える。幸いにして小売酒販組合には、協同組合組織があり、かなりの活動資金とエネルギーを持っているからである。

それらの力を発動させて他の産業行政に従えば、現在の国税による閉鎖的行政より、更に発展する可能性を充分に秘めていると云うことができる。

また、世界的にみて日本の一人当たり飲酒量は二八位(酒のしおり三五頁)に甘んじており、まだまだ伸びる要素がある。上告人らは何も無差別な飲酒を推奨するものではないが、それだからこそ国税以外の衛生的、警察的指導の元で健全な酒類産業の発展を願わずにはいられない。

それには、ひとまず何も機能できない、現行の酒税法を抜本的に改正して、酒税の保全にも、保健衛生の点でも、未成年者への警察的予防策にも適合させるものにしなければならない。

それが開かれた現在にも未来にも通用する唯一の酒税法の生きる道である。

それには前提として、先ず現行の免許制を違憲として排除しなければならない。

四、二重規制の違法

1、納税義務者と非納税義務者の二重規制

酒販業者に対する規制を検討する場合には、そもそも保全の目的たる酒税の納税義務者ではない、ということを大前提にしなければならない。

仮に、酒税保全目的の規制が憲法上何らかの形で許容され得る場合があるとしても、直接の納税義務者たる酒造業者と、納税義務者ではない酒販業者とでは憲法上許容される規制の範囲と程度は、当然に異なる筈である。

納税義務者ではない酒販業者に対する規制はたとえ「よりゆるやかな規制」であっても、本件違憲審査基準からして、それが必要にして最小限度のものでなければならない。

以下に酒販業者に対する「よりゆるやかな規制措置」とその他の規制措置全般の内容を検討し、その上さらに酒販免許制により規制することが「必要最小限度の原則」に適合するか否かを分析する。

2、酒税法のLRA違背

まず第一に、酒税納税義務者たる酒税業者に対して、免許制を含む極めて厳格な徴税措置がとられていることを、考慮に入れなければならない。

即ち、租税徴収のため製造業者に免許制を設けること自体が、職業選択の自由に対する厳しい規制であるうえ、これに更に各種の義務を課しているのであるから、納税義務者に対する義務としては異例中の異例といえる厳しい規制である。これ自体が憲法違反の疑いさえ抱かせるものである。酒税法が、酒造業者に関して定めている各種義務・規制・罰則等の具体的内容は次のとおりである。

まず、酒類製造者を納税義務者として、その製造場から移出した酒類について酒税を納めることを義務づけ(六条)、免許制を採用して酒類販売業者に対すると同様の免許の要件及び条件を課している(七条、一〇条、十一条)ほか、免許の取消の要件を厳重に定めている(一二条)ばかりでなく、移出に係る酒類についての、課税標準及び税額の申告書提出義務(三〇条の二)、製造、貯蔵等に関する事実の記帳義務(四六条)、製造場の位置、設備や毎月の酒類の移出数量等の申告義務(四七条)、製造場での酒類の亡失等の場合の申告義務とその検査、容器の検定、質問等の受忍義務(四九条、五三条)、製造・混和等の承認を受ける義務(五〇条)、製造場外での詰め替え等の届出義務(五〇条の二)、酒税証紙貼付義務(五一条)等の各種義務を課し、これらの義務違反に対する刑罰をも定め(五六条、五八条ないし六〇条)、なお、捕脱行為自体につき五五条、免許を受けずに酒類を製造した者につき五四条、五七条)、さらに、国税庁長官らは、酒税保全のため必要があるときは酒税につき担保提供を命じ、又はこれに代えて酒類の保全を命じることができる(三一条)旨を規定し、同法施行令及び酒税法基本通達は、これらについての細則を定めるなど、多様な立法上の手当を施しているものである。

右義務の中には担保提供又は酒類の保存義務まで規定されており、酒造業者が酒税を滞納した場合には、これらからの保全と徴収が、充分可能になっている。社会通念上、ある債権の回収のための措置としては、右酒税法の如き規制はまず万全の体制ということができる。

従つて、酒販業者に対する規制措置は、本来的に必要がないのである。営業許可制が合憲であると是認されるためには、単にその目的自体が、正当であるのみでは足りないのであって、そのために採用される規制手段が、目的達成のために合理的で必要性のあるものであることを要し、目的との充分な関連性がなければならない。

しかるに、本件酒販免許制は、前述の如くその規制目的において既に正当性が欠如しているものであるが、それに加えて、規制の手段・態様においても、必要性・合理性を欠くものであり、規制における目的・手段の合理的関連性も認められないのである。

酒販免許制に必要性も合理性も認められないことは、以上の論拠からすでに明らかである。

即ち、現行の酒税法においては(酒販免許制以外の)酒造業者と酒販業者に対する、極めて厳格な各種義務・規制・罰則の規定や酒団法所定の各種酒税保全措置を講じているから、納税義務者でない第三者(酒販業者)に対する規制としては(仮に憲法上何等かの規制が許容されるとしても)すでに十二分であり、その上さらに免許制による積極的規制を課することは、必要最小限度の原則(「よりゆるやかな規制」、「より制限的でない他に選びうる手段」という基準)に反し、当然「規制」としての必要性も合理性も認められないのである。

さらに、酒販免許制の不必要性・非合理性については、次の理由を追加しなければならない。即ち、

第一に、立法事実からして、酒販免許制導入の真の目的が「酒税確保」などではない事はすでに明らかであるが、さらに、この免許制は現実問題として「酒税の確保」(滞納の予防)とは、全く因果関係がなく、酒税確保に何等益する制度ではないこと。

第二に、国税の主張において「酒販免許制の付随的効果」として、主張しているような社会秩序の維持、国民保険衛生の確保に寄与している事実は、全く存在しないこと。

第三に、酒販免許制は酒価操作の道具として悪用されており、営業活動の自由を阻害し、消費者の権利を侵害する有害な制度であること。

第四に、酒販免許制は、既存業者の既得的利権保護のため、全く恣意的な運用となっていること。(実際にも、酒販業者からの圧力と相まって税務署長の「免許の付与」に関する裁量は不当にも新規免許を出さない方向に恣意的に運用されている)。

第五に、学会や世論のみならず行政内部においても、こうした不合理な酒販免許制は「廃止」すべきであるという強い動向が存在すること。以上、立法経過・規制目的・社会的事実・運用実態等々のあらゆる面から分析しても、本件酒販免許制に合理性・必要性が一切認められないことは明らかである。

3、「免許要件」の不合理性

以上制度としての「酒販免許制」の不合理性・非必要性を論述してきたが、さらに、酒販免許制の法的要件からの検討をする。

酒販免許制は、酒税法一〇条各号によって、その免許要件が定められているもので酒販免許制の必要性・合理性を検討するためには、右各要件の必要性・合理性を検討しなければならない。

言い換えれば、同法一〇条各号の「要件」自体が不必要・不合理なものであれば、そもそも、我が国における「酒販免許制」そのものが、存在基盤を失なう関係にあるのである。

そこで、酒税法一〇条各号の「免許の要件」を分析することとするが、一号から一二号までの要件のうち、被上告人らが主張する「酒税確保のための酒販業者の経営の安定」ということ(この主張の失当性については再三詳述したとおり)に直接関連するのは、一〇号(経営の基盤の要件)と、一一号(需給均衡の要件)の二要件のみあり他の、各号は、いずれも付随的・補足的な意味しか有しないものである。

よって、酒販免許制の必要性・合理性の存否の判断はこの基本要件たる一〇号・一一号を分析すれば足りる。

4、需給均衡・要件の不当性

これは、市場の状況を基準に、免許申請の拒否を決するということで、実質的には、既存販売業者の利益を守るために競争の制限を行うことを意味する。従って、これが酒造業者の保護に役立つというのは、このような既存販売業者の利益保護を通じて、更に間接的にもたらされるに過ぎないことなのである。

他方、我が国の経済政策は競争政策を基本とし(独占禁止法)市場への新規参入を制限することとなるような競争制限的立法は、例外的にしか存在しない。しかもそれは、個人の「営業の自由」を侵害することにより、既存業者の私的利益を擁護することになるばかりではなく、それにより一般消費者の利益を害することにもなるからである。

この要件についても必要性・合理性が全く欠けていると言わざるを得ない。

そもそも、市場における競争の制限(一一号)自体、税収に及ぼす効果の程も明らかとは言えない上、それがなければ、税収の確保が困難という訳のものではないのであるから、これでは到底、納税義務者以外の第三者に対する「営業の自由」の侵害を正当化することのできる、合理的根拠を有するものとは認められない。

そのことは、経営能力の要求(一〇号)についても、同様に言い得ることができる。

以上により、酒販免許制(免許要件)に必要性も合理性も存在しないことは明白である。

本項において、酒販免許制の必要性・合理性を判断するにあたり、その他の規制措置との関係(よりゆるやかな規制措置の基準)、酒販免許制に関する具体的諸事実の分析、さらには酒販免許制の本体(そのもの)たる、酒税法一〇条の「免許要件」の吟味等多面的観点から、検討を行なってきたものであるが、そのいずれの点からしても不必要・不合理な制度(規制)であることは明らかとなった。

よって、酒販免許制は合憲性判断基準の第二の要素(必要性・合理性)も全く充足していないものである。

5、比較考量の不存在

職業選択の自由に対する規制が合憲であると是認されるための第三の要件は、規制によって得られる利益とこれによって制限される職業の自由の性質・内容及び制限の程度を比較考量して、なお、妥当性が認められることである。

本件酒販免許制が、この利益考量の要件においても著しく妥当性を欠くことが明らかである。

即ち、現行の制度は、酒類酒造業者から酒税徴収を確保するための万全の措置を講じているのであるから、更に酒販業者をも免許制度のもとに規制したとしても、これによって国家に付加される利益は、極めて僅少なものに過ぎない。

これに対し、免許制度の下では、許可された者以外は、希望する酒類販売業の開業自体が完全に抑制され、その職業選択の自由は、全面的に剥奪されるものであり、その不利益の程度は、著しく重大である。

さらに、酒税確保が目的ならば、酒造業者・酒販業者の営業活動の態様・内容に対する前述の如き規制手段によって充分過ぎる程充分に、保護されて達成できるものであり、右の態様の規制を越えて、そもそも営業活動の開始すら許さないとする免許制度を採ることは、酒類販売業を希望する国民一般に対して重大な損害を与えるものであって著しく均衡を失しているものである。

右にみてきたように、これらの二重の規制は、徒に屋上屋を重ねるだけであり、納税義務者でもある消費税の小売店と比べても、著しく均衡を欠き、法の元の平等にも違背して、違憲・無効なものと云わざるを得ないのである。

五、行革・小委の答申について

ここに於いて、平成七年一一月一七日行政改革委員会・規制緩和小委員会(以下単に行革という)が、決定的な答申を政府に提出した。

それは(酒販免許制について)

1、五年後撤廃と期限を限ったこと。

2、維持の理由が見つからない。

と、行革は初めて、断固たる決意を以て宣言したもである。

この行革の決定は重大である。これまでにも一八回もあった公的機関からの勧告は、すべて国税の良識に期待して、開放せよ、自由化せよ、大幅に見直しせよと、口を酸っぱくして提言し、後は国税のお手並み拝見と、大いに国税の実行力に期待したにも拘わらず、遅々として進まぬ改革の具体的速度に業を煮やした行革が、イエスかノーかと、国税に最後通牒を突きつけて、その決断を迫ったのである。

先ず行革委のエキスパートたちが必死になって努力・勉強してみても、酒販免許制を現在、なお維持できる理由が、遂に発見できなかったという、行革での審査経過は非常に重要だと思う。

もし、そこに行革が発見できなかった理由が、別にあるとすれば、それは裁判所に於いて発見するより外はないというべきである。

この一つの例として、国税は現在秘匿にしているから正確には分からないが、昭和四六年まで自由であった沖縄県には約八千店の免許場がある。これは東京や大阪とほぼ同数であり、(東京八七〇〇店)約百万の人口の沖縄県と千二百万の人口の東京都が、酒販免許場の数で、ほぼ、イコールしているということは、国税の恣意的行政を遺憾なく発揮しているといえる。

その人口比にして東京の十一倍も免許場のある沖縄で、小売免許者が倒産したという話を聞いたことがない。逆に国税の最も心配する、酒販免許者の破産夜逃げの一番多いのは、沖縄の十一分の一の分布場数に過ぎない、東京に於いて最も顕著であるという、皮肉な結果だけが残っている。

この事実は何を物語っているかというと、免許制の希少価値の上に胡座(あぐら)をかく怠惰と、競争に堪えて必死に努力するものとの差が、そこに歴然と現れたからである。

また、沖縄の免許場数を公表しない国税の真意は定かでないが、もし、これを発表すると、本土も沖縄並みに大幅に免許場数を増やせという、運動が盛り上がるのを恐れてのことだとしたら、国税の態度は、姑息であり、時には卑怯でさえある。

行革・小委はどうしても酒販免許制・合憲の基準を発見することができなかった。これは既に違憲の状態に入ったと、行革自身が判断したと見るべきである。

まとめ

以上のとおり、酒税法は国税による恣意的運用により、酒販免許者の保護にのみ急で、肝心な酒類市場を破壊してしまったのであるから、これを違憲として排除しないわけにはいかないのである。

それは再論するが、二〇万人もいる希望者に対して、平成四度年には、全酒類小売販売場は僅かに、一六一場しか増加させていないという犯罪的一事だけをみても、全消費者に向って或る種の挑発をしているとしか考えられない。

それでも国税は転廃業者の加除でカウントが違う等と、言い訳するから、それではと酒販業者数の合計でみると、逆にマイナス九(酒のしおり・三七頁平成四年分の前年対比)と減少させている。このように国税の論理は、最初から欺瞞に満ちているのであるから、至る処で破綻し、矛盾が露呈されてしまうのは、むしろ当然の帰結というべきである。

それらを裏書きするように、東菱酒造(株)を潰した昭和五八年度には、全国小売酒販組合政治連盟は、その論功行賞として、群を抜いて一億九千万円を政治献金している。(昭和五七年は一億二千九百万円、同五九年は一億七百万円。平成六年度は合憲判決により酒販免許が安泰になったとして七千万円余で済ましている)

そして、オマケにというのでもないのだろうが、右、政治連盟から献金を受けた岩動道行参議院議員(当時国会酒販問題懇話会会長代行)が七五〇〇万を脱税して、修正申告させられていたのである。

このような上告人らを目の仇にした被上告人らの差別行政は、酒販免許制の憲法適否を論ずるまでもなく、既に違憲の領域に入ったとみなければならない。

最後に原判決の決定的欠陥は前項で述べた行革・小委の答申の疑問に全く答えていないことである。

この答申は政府、在野のエキスパートを一堂に集めて、必死に発見しようとしたが、遂に発見できなかった「免許維持の理由」を、原審こそ発見して、上告人らに答える責務があった。

その上で堂々と合憲(棄却)と判決すべきであった。

それが二十万字近い上告人らの控訴準備書面(四通)の一頁たりとも読んだ形跡のない判決の判示で、どうして得心しなければならないのか、とうてい承服するわけにはいかないのである。

その最低限触れなければ、元来判決文足り得ない「行革の疑問」をも故意に回避して、一審判決の「て・に・ほ・は」を訂正しただけで、名誉と伝統の東京高裁の判決と云えるのだろうか。これでは伝統ある東京高裁の名を汚すことになってしまうのではないかと、むしろ他事ながら危惧の念をさえ禁じ得ないのである。

しかも、それは五十七年という、超長期間の戦前の亡霊に泣かされ続けてきた、大勢の潜在的免許希望者に対して、それは余りにも不誠実である。今こそ勇気を以て彼らに参入の道を開き、活力ある酒類市場を創造する最後の機会にしなければならない。

それが本上告審に期待する上告人らの最低限のモラルであり、責務であると心得ている。

本、上告審においては、是が非でも、日本中の全国民が熱望している、それに世界中の良識者が注目している、酒販免許制の維持か、破棄かの真の理由をどうしても発見していただきたいと思うのである。

以上

(添付参考書類省略)

(平成八年(行ツ)第八八号 上告人 共立酒販株式会社 外一名)

上告代理人井上励の上告理由

原判決には、次のとおり判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈の誤り、審理不尽の違法がある。

第一

一 「第三 争点に対する判断」の第一項において、原判決は、一方で、(1)経済的自由を規制する法律であっても、許可制は、職業選択の自由そのものに対する強力な制限であるから、許可制を定めていることによって経済的自由を制約している法律の合憲性を肯定するためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するものというべきであるとしている。

二 しかし、原判決は、他方で、(2)人権制約立法であっても租税立法については、その合憲性の審査に当たっては、裁判所は立法府の裁量的判断を尊重せざるをえないともしている。すなわち、租税法の定立に当たっては、国民の租税負担を定めるについての国政全般からの総合的な政策判断、課税要件等を定めるについての専門技術的な判断を要するものであるから、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断に委ねるほかないため、租税立法の合憲性の審査に当たっては、立法府の裁量的判断を尊重せざるをえないとしている。

三 そのうえで、原判決は、前記(1)(2)双方をともに考慮しながらも、結論としては、前記(2)の方を優先させて、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のためにする職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項に違反するものということはできないというべきであるとしている。

四 おそらく、原判決は、(1)原則として、許可制による職業選択の自由を定める法律の合憲性を肯定するためには、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するが、(2)右法律が租税の適正かつ確実な賦課徴収を図る目的である場合は、例外的に、その措置の必要性と合理性についての立法府の判断が、政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので著しく不合理なものでない限り、違憲とはいえない、とする論理であろう。

五 その結果、原判決の論理では、前記(1)につき、いかに厳しい合憲性審査基準を採ったとしても、前記(2)が優先することになるのであろうから、結局のところ、職業選択の自由そのものを規制する法律であっても、それが租税の適正かつ確実な賦課徴収を図る目的を有する規制である以上、著しく緩和された合憲性審査基準(明白の原則)を採用することになる。

第二

一 それゆえ、職業の許可制を定める当該法律が、はたして租税の適正かつ確実な賦課徴収を図ることを目的とする規制であるといえるのかどうかにつき、たんに当該法律の提案理由等をそのまま認めるのではなく、当該法律の全体の構成を慎重に検討したうえで、判断すべきである。

なぜならば、右のように解しないと、職業選択の自由そのものを制約する法律につき、立法府が、右法律を租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという目的であると位置づけさえすれば、右目的を達成する手段については、著しく不合理であるというきわめて例外的な場合でしか違憲とはいえないことと相俟って、もはや、立法府が、どのような内容のものを定めたとしても、裁判所は、ほとんどの場合、右法律を合憲とせざるをえなくなってしまい、裁判所の有する人権救済機能が全くと言ってよいほど失われてしまうからである。また、当該法律の全体の構成を検討することによって右法律の真の目的が何かを判断することは、とくに政策的、技術的な判断を必要としないのであるから、裁判所にも十分可能といえるからである。

二 そこで、前記一の観点から、現行酒税法の採用している具体的な酒販免許制度の目的につき検討してみる。

1 現行酒税法の目的につき、原判決は、「第三 争点に対する判断」の第二項において認定したように、「酒税の納税義務者である酒類製造者による販売代金の確実な回収を阻害するおそれのある酒類販売業者を酒類の流通過程から排除することによって、酒税の確実かつ安定的な徴収とその税負担の消費者への適正かつ円滑な転嫁を確保するためのもの」であるとしている。

たしかに、酒販免許制度の本来あるべき目的は、原判決の摘示するとおりであるが、現行の酒税法で採用されている酒販免許制度の目的が、あるべき目的と同一であるかについては、慎重な検討を経なければならない。

(一) 同法の目的が、真に原判決の指摘するものであるならば、同法には、いったん酒販免許が付与された後にも、免許取得者につき右目的を阻害するような事由、たとえば倒産等経営の基礎が薄弱であると認められる事由が生じたときには、免許を取り消す旨の条項が当然定められていなければならないはずであるが、現行法令の定める酒販免許取消事由は酒税法一四条に定める事項だけであり、倒産等は取消事由にはなっていない。このことは、現行酒税法の定める酒販免許制度の目的は、原判決の認定したようなものであると認めるのはほとんど不可能であり、むしろ既存酒販業者の保護にあるということを強く推測させるものである。

(二) また、酒税法の目的が、真に、原判決の指摘のとおりであるとするならば、同法において、酒税の消費者への適正かつ円滑な転嫁を直接に阻害するような行為に対しては、何らかの防止策を講じなければならないはずである。

しかし、同法は、酒類製造者が、酒類販売業者に対して、自己が蔵出の段階で支払った酒税の額に相当する金額を酒類の売却代金に上乗せせずに右酒税相当分を全額回収しえない価格で売却しても、右製造者につき何ら不利益処分を課していない。また、同様に、酒販業者が、消費者に対して、酒類製造者から酒税相当分を上乗せした価格で仕入れた酒類を、右酒税相当分を全額回収しえない額で売却しても、右販売業者は、酒税法において何ら不利益な取扱を受けることはないのである。

このことからみても、現行の酒税法の目的が、酒税負担の消費者への適正かつ円滑な転嫁を確保することにあるというのは、きわめて困難である。

3 なお、原判決は、「第三 争点に対する判断」の第五項の2において、酒販免許制度の目的につき、酒税の徴収確保とその税の消費者への転嫁確保にあるとする理由の一つとして、昭和一三年の酒税法改正案の提案趣旨説明をあげているが、これでは、目的審査の段階においても、立法府の判断を尊重すべきことになってしまい、租税法律については、もはや裁判所の違憲審査は及ばないのと同然であり、このような裁判所の態度は改められるべきである。

4 以上のように、現行の酒税法の目的は、原判決の指摘するようなものではなく、むしろ既存販売業者の保護にあると解されるので、原判決は、審理を尽くしていないと言わざるを得ない。

第三

一 原判決は、前記のように、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のためにする職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項に違反するものということはできないというべきであるとしたうえで、「第三 争点に対する判断」第二項以下において、現行の酒販免許制度の効果につき、ある程度、立法事実を踏まえて検討した結果、現行の酒販免許制度は、本来の酒販免許制度の目的であるところの「酒税の納税義務者である酒類製造者による販売代金の確実な回収を阻害するおそれのある酒類販売業者を酒類の流通過程から排除することによって、酒税の確実かつ安定的な徴収とその税負担の消費者への適正かつ円滑な転嫁を確保」に奉仕していないとは言えないとして、現行の酒販免許制度を採用・維持すべきものとする立法府の判断は、その政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので著しく不合理であるということはできないとの結論に至っている。

二 そのうえで、原判決は、「第三 争点に対する判断」第五項の4において、控訴人の酒販免許制度の効果についての主張に対して、酒販免許制度が、酒販免許制度の採用前後において酒税の滞納率に顕著な差異が認められないことは指摘しながらも、酒税の滞納率には種々の社会的、経済的要因が関係しているものと考えられるからと摘示して、直ちに酒販免許制度が酒税の滞納防止に効果がないと断定することはできないとしている。

すなわち、原判決は、いったんは立法事実の検討をしたうえで酒税の滞納率に顕著な差異が認められないと認定しているにもかかわらず、それに続けて、何ら具体的な立法事実の検討をすることなく、滞納率には種々の社会的、経済的要因が関係しているものと考えられる、というきわめて漠然とした別個の要素を採り入れて、直ちに酒販免許制度が酒税の滞納防止に効果がないとは断定しえないと結論付けているのである。

しかし、これでは、原裁判所は何のために立法事実を審査したのかわからなくなってしまう。これは、明らかに審理不尽である。

三 また、原判決は、「第三 争点に対する判断」の第五項の4において、酒販免許制度は、酒類の販売代金の回収を確実にすることを通じて、酒類製造者の経営を安定させ、酒税の安定的確保を図ろうとするものであり、総体的にみて、酒税の転嫁を容易にする効果を有していることは否めないというべきであるとしている。

たしかに、観念的には、原判決摘示のとおり、酒販免許制度は、酒税の納税義務者である酒類製造者による販売代金の確実な回収を阻害するおそれのある酒類販売業者を酒類の流通過程から排除することによって、酒税負担の消費者への適正かつ円滑な転嫁を確保する効果を有していると言えそうである。

しかし、実際には、前記第二の二、2(二)に述べたように、現行酒税法が、酒税負担の消費者への適正かつ円滑な転嫁を直接に阻害する行為に対する防止策を講じていない以上、現行酒税法の採用する酒販免許制度については、簡単には、原判決のようには言えないはずである。しかし、原判決は、観念的な立法事実のみから、即座に、右結論を導いている。この点においても、原判決は、審理不尽である。

四 以上のように、原判決は、現行の酒販免許制度は、酒販免許制度本来の目的である「酒税の納税義務者である酒類製造者による販売代金の確実な回収を阻害するおそれのある酒類販売業者を酒類の流通過程から排除することによって、酒税の確実かつ安定的な徴収とその税負担の消費者への適正かつ円滑な転嫁を確保」を達成する手段として、効果がないとは言えないとしているのであるが、十分に審理を尽くしているとは言い難い。

以上、本件につき原判決の採用した合憲性審査基準(明白性の原則)を適用したとしても、酒税法一〇条一一号、あるいは、それに基づく本件不許可処分は、違憲という結論になる可能性が高い。それにもかかわらず、原判決は、酒税法の解釈を誤り審理を十分に尽くさなかったため、酒税法一〇条一一号、あるいは、それに基づく本件不許可処分を合憲としたものであるから、違法であり破棄されるべきである。

以上

(平成八年(行ツ)第八八号 上告人 共立酒販株式会社 外一名)

上告代理人和田元久の上告理由

原判決は憲法に反するとともに理由不備、審理不尽の違法がある。

第一 原判決は合憲性判定基準の選択を誤っている。

一 原判決は、酒販免許制度の目的を、積極目的とも消極目的とも断定することなく、「職業の自由を規制する法律の合憲性を判断するに当たっては、当該規制の目的、必要性、内容、これによって規制される職業の自由の内容、制限の程度等を比較考量したうえで、慎重に決しなければならない。」としながら、合理性の基準によって、合憲性を導き出している。そこで従来の判例の合憲性判定基準を考慮しつつ、合憲性審査基準を検討する。

二 従来、判例は、職業選択の自由の制限に関する合憲性審査基準について、積極目的・消極目的二分論を採用してきた。即ち、積極目的の規制については、「当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限って」違憲とすべきであり(最大判昭和四七年一一月二二日いわゆる小売市場許可制合憲判決)、消極目的の規制については、それが合憲であるためには、「重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であり、他のより制限的でない規制手段では立法目的を達成しえないことが必要である」(最大判昭和五〇年四月三〇日いわゆる薬事法違憲判決)とする。

三 もっとも、総ての人権規制立法を積極目的と消極目的に二分することはできない。本来、積極目的と消極目的の区分は相対的なものであり、具体的規制について、消極目的規制か積極目的規制か割り切りにくい場合もあるのである。最大判昭和六二年四月二二日のいわゆる森林法事件判決が二分論によることなく厳格な合理性の基準によって違憲判断を導いたのはかような趣旨によるものと解される。

四 そして、積極目的立法か消極目的立法か割り切りにくい場合には、他の視点も加味して合憲性審査基準を検討する必要が生じる。即ち、職業を「選択」する自由に対する制限は、「遂行」に対する制限よりも一般に厳しい制限であるといえるから、より厳格な審査が必要とされる。また、「選択」する自由に対する制限の中でも、競争制限的規制のように個々の人の力を超えた観点からする規制は、人の職業適格性に関わる制限より厳しいものといえるから、厳格な審査が要請されるというべきである。

五 酒税法のような「職業選択の自由」の規制は、その立法目的を見ると、間接消費税である酒税の担税者たる消費者への転嫁を円滑なものとし、税収の確保を図るという積極的、政策的意義を持つものであることは否定できないが、他面、酒販免許制度は、福祉国家の理念の下における経済的弱者のための政策的規制とも明らかに異なるのである。従って、財政目的の規制は積極目的消極目的のいずれとも性格を異にする独自の規制というべきものである。それ故、合憲性審査基準も他の視点を加味して検討すべきところ、制約される人権は重大な人権である。しかも、職業「選択」の自由に対する制限であり、加えて、本件規制は、競争制限的規制に他ならず、その人権侵害の程度は重大であると言わなければならない。

六 以上より、酒販店免許制の合憲性審査基準は、合理性の基準ではなく、必要最小限の基準である「より制限的でない他に採りうる手段の基準」によるべきである。

七 さらに、実質的に検討しても、いかなる租税を課するか、即ち租税負担や課税要件をいかに定めるかの点については立法者に広汎な裁量権を認めるべきであるにしても、租税確保のためにどのような措置をとるかは、具体的に明らかとなっている目的達成のための手段の選択の問題なのであるから、立法者に広い裁量権を認める必要はない。このような手段の選択の問題については裁判所も十分に判断する資料・能力を有するのであるから、立法府の裁量を尊重する必要は何もないのである。従ってかような実質的観点からも、酒販免許制度の合憲性を判定するのに、立法府に広い裁量を認める合理性の基準を適用することは不当であり、酒販免許制度の合憲性審査基準は必要最小限の基準である「より制限的でない他にとりうる手段の基準」によるべきである。

八 この点、原判決は「租税法の定立にあたっては、租税収入の確保という本来の目的のほか、国民の租税負担を定めるについての国民全般からの総合的な政策判断、課税要件等を定めるについて専門的技術的な判断を要するものであるから、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的技術的な判断にゆだねる他はなく、租税法の合憲性の審査に当たっては、基本的には、その裁量的判断を尊重せざるを得ない。」「従って、租税の適切かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のためにする職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項に違反するものということはできないというべきである。」とする。

九 たしかに、租税負担、課税要件を定めるについては、憲法も立法に委ね、広い裁量を与えているものと認められるが、租税確保のためにどのような手段をとるかについてまで、広い裁量を認めているとは考えるべきでない。同じ租税法の定める人権規制の中でも、立法に広い裁量を与えるべき事項とそうでない事項が存在するのである。

一〇 この点原判決は租税法の人権規制を一律に大雑把に検討して、一律に合理性の基準を適用している点で、合憲性審査基準を誤っているのである。

一一 そして、必要最小限の基準によると、酒税の確実かつ安定的な徴収と租税負担の消費者への適正円滑な転嫁という酒販免許制度の目的は、酒販店を届出制にした後の事後的な資格取消制度のようなより制限的でない他にとりうる手段によって達成しうるのであるから、酒販免許制度は違憲と言わざるを得ないのである。

第二 酒販免許制度は必要性と合理性を基礎づける立法事実を欠き違憲である。加えて、原判決には、立法事実の検証がの検討が十分になされていない点で、理由不備、審理不尽の違法がある。

一 以上のように、職業選択の自由が、重大な人権であること、酒販免許制度が「選択」に対する規制であること、しかも競争制限であることを考えれば、その合憲性を審査するにあたっては、立法の必要性と合理性を裏付ける立法事実の詳しい検証が不可欠である。

二 原判決は、酒販免許制度の目的について、「酒販免許制度は、酒税の納税義務者である酒類製造者による販売代金の確実な回収を阻害する恐れのある酒類販売業者を酒類の流通過程から排除することによって、酒税の確実かつ安定的な徴収とその税負担の消費者への適正かつ円滑な転嫁を企図したものである」として、昭和一三年の酒税法の改正により酒販免許制度が採用されたことには、「必要性と合理性があった。」と判断している。

三 しかしながら、酒販免許制度が酒税の確実かつ安定的な徴収に役立っているという立法事実は、全く立証も検討もされていないのである。即ち、甲一〇号証によれば、酒販免許制度の採用の前後において、酒税の滞納率には差異がほとんど生じていないのである。このことは原審も認めるころである。酒販免許制度の採用の前後において、酒税の滞納率に差異が生じていないならば、むしろかかる立法事実は存在しないと言わざるを得ないのではないのか。この点原審は、「酒税の滞納率には、種々の社会的、経済的要因が関係しているものと考えられるから、このことをもって、直ちに、酒販免許制度が酒税の滞納防止に効果がないと断定することはできない。」という。これでは、立法事実の検証を放棄しているとしか考えられないのである。

四 そもそも、酒販免許制度が採用された後に昭和一五年以降にはかえって滞納率は高くなっているのである。そして、昭和二六年には一〇・三パーセントまで跳ね上がっているのである。無論これは社会情勢とも関係するものであるが、少なくとも、酒販店免許制が酒税の確実かつ安定的な確保に役立っていないことは明らかである。

五 加えていうなら、酒税の滞納率が一般的に低いのは、酒税法が酒造免許制度を採用し、酒造者自体を手厚く保護して、酒税の滞納を防いでいるからである。滞納率の低さは決して酒販免許制度に起因するものではないのである。

六 また、販売業者に免許制をしかなくても、一般に、小売商業調整特別措置法により中小企業間の「過当競争」の防止が図られているし、大店法により大企業からの中小企業の保護が図られ、さらに、酒類業界については、「酒税の保全及び酒類業組合に関する法律」によって規制が行われているので「販売業者の乱立→経営の悪化」という因果関係は軽々に認めることはできないのである。

七 現実にも、酒類の販売は製造業者→卸売業者→小売業者という経路を辿るのであるが、ここにおいて、製造業者が代金回収のために売り先の信用調査をした上で販売をしているはずである。それ故、現実にはかかる製造業者の信用調査によって販売代金の確実な回収がなされているのである。酒販免許制度によって、販売代金の確実な回収がなされている訳でもないのである。

八 原審はかような酒税の確保に関する立法事実の検証を怠った点において、理由不備、審理不尽の謗りを免れないものである。

九 同様に、酒販免許制度によって税負担への消費者への適正円滑な転嫁がなされるという事実についても、なんらの立証も検討もなされていないのである。

一〇 酒販免許制度を採用しても、酒類の最低価額が強制されていない以上、消費者への税負担の円滑な転嫁は不可能であると考えられるが、この点についても原審は何等審理検討することなく、「総体的に見て、酒税の転嫁を容易にするという効果を有していることは否めないものというべきである。」と決めつけているのである。この点においても原審は、理由不備・審理不尽の謗りを免れないものであるといえよう。

第三 その他

一 以上、酒販免許制度は、立法当時より立法事実を欠くものであったが、酒税の国税全体に占める割合が相対的に低下した今日においては、酒税を特別扱い擂る必要性は減少している。それ故違憲の程度は大きくなっているといえよう。

二 とりわけ、酒販免許制度について合憲判決が出始めてからは、国税側は、年間の免許増加数を半減させているのである。アルコールの消費量が増加していることを考えると、このような運用自体が違憲なものといわざるを得ない。従って、かかる違憲な運用の一環としてなされた本件不許可処分も違憲といわざるを得ないのである。

以上

(平成八年(行ツ)第八八号 上告人 共立酒販株式会社 外一名)

上告人共立酒販株式会社の上告理由

はじめに

控訴審では一顧だにされなかったので、多少重複することになるかもしれないが、酒類販売業免許制(以下単に酒販免許制という)、の違憲性について次に論旨を展開する。

酒販免許制によって酒類販売業への新規参入は極度に制限され、それらの者の権利が著しく制限されているのは勿論のこと、酒類販売に自由競争が導入されないため、酒類の価格が世界に類例を見ない程割高になっていること、品質の悪い酒類が大手を振って罷り通っていること等、消費者である国民大衆の利益が大幅に制限されている事実は、これまでに再三述べてきたとおりである。

このような利益の侵害を甘受しなければならない程、酒販免許制が合理的制度なのか、どうか、どうしても最高裁判所に判断して頂きたいと思う。

現憲法下において裁判官を含め国民はよい酒を安く飲む権利を有している。

にも拘わらず、なぜ我々は、五十七年以上も前の明治憲法下の戦争を支えるための統制経済下に於いて採用になった、酒販免許制によって、この重要な国民の権利が剥奪されなければならないのか。

改めて本上告に及んだ理由である。

第一、最高裁判決の援用

1、酒販免許制を巡る平成四年一二月一五日・最高裁判所第三小法廷の判決(以下単に最高裁判決という)に対しては、圧倒的に坂上違憲論に組みする法律家が多い。それは時代の趨勢でもあろう。

酒販免許制度の主たる目的は「酒税の適正かつ確実な賦課徴収」(以下酒税の保全という)にあるとされるが、免許制という職業選択の自由に対する強度の規制であるところから、制度の合理性・合憲性に疑義が出されている。

2、先ず、職業選択の自由に対する違憲審査基準として最高裁は、小売商業調整特別措置法判決と薬事法判決の二つを契機として、積極目的による規制には「明白の原則」を、消極目的による規制に対しては「厳格な合理性の基準」を適用する、いわゆる「目的二分論」(以下二分論という)を採用したとする理解が学説の大勢である。然しながらその後、森林違憲判決が出るに及んで、二分論を中心とした判例理論の整合性を巡って、二分論の基本的枠組みは維持されたとする意見と、別の判断手法が取り入れられたとする意見が対峙するに至った。

また、二分論の違憲審査基準としての有用性を疑問視する意見も有力に主張されるに至った。

ただ、森林法判決は薬事法判決を先例としたとはいえ、飽く迄も財産権規制が問題とされた事例であり、営業規制の問題で、しかも事例の新規制・好適性という点から、最高裁が二分論に如何なる判断手法を示したかが、大いに注目された判決となった。

3、そこで、如何なる違憲審査基準を採用したのか、結論から先に言えば、最高裁判決は二分論的類型から審査基準を誘導するカテゴリッシュな二分論に依らなかったことは明らかであるし、この控訴審判決(東京高裁判決昭和六二年一一月二六日)のように、「両方の目的が混在している」と見たのでもない。

それは、最高裁判決の多数意見が薬事法判決の違憲基準の一般論を先例として引用しながらも、そこにあった積極・消極の規制類型の言及を切り落としている事、酒販免許制の立法目的を酒税の保全という財政目的にあるとするものの、それが積極・消極のいずれの目的に属するかを明らかにする事もなく、更に目的類型に対応した審査基準についても、言及していない事は甚だ残念である。

端的に云ってしまえば、多数意見の法理は、先例として薬事法判決を引用して「許可制」の場合には「重要な公共の利益の為に必要かつ合理的な措置であることを要する」と厳しい審査の必要を示唆しながらも、結果的には、租税立法が総合的な政策判断や専門技術判断を要する等といった規制立法の特質を重くみて、財政目的のための職業の許可制による規制の審査基準として立法府の判断が「著しく不合理」であるか否かとする基準を採用したものである。

4、こうした審査基準の手法をいかに理解すべきかは、議論の余地もあろう。

最高裁判決の判示は「財政目的」が従来の積極・消極のいずれの目的とも異なることから新しい類型を明らかにしたものとも云える。

或いは審査基準の方からみると、ほぼ積極規制に適用される緩やかな審査基準である「明白の原則」を採用したと解されることから、税に関する裁量論を積極規制論の中に取り込んだとみる事もできる。何れにしろ規制目的の特質を捉えて審査基準を対応させる事を以て二分論的思考枠組みを維持しているものと解するなら、それも出来る。

しかし、この二分論が判示の中でいかに位置づけられているかという点からみると、この法理は多元的である。

多数意見は、単に規制目的の特質から審査基準を導き出すという手法ではなく、形式的ではあるが更に「許可制」という規制態様を考量し、その上、規制の対象が「致酔性を有する嗜好品」の販売の自由に過ぎないとする権利の性質を考量し、多元的な考察から判断しているように見せかけている。即ち、「許可制」という規制態様への考量を重くみることよりも、やや強引に租税立法一般の基準たる規制目的の特質に引き寄せて「明白の原則」を誘導している。

この強引さは最高裁判決の判示が「職業選択の自由が関わっているケースではなく、先例としての適切性が疑問視されている大島訴訟の租税法一般の立法裁量論を引用している点によく表れている。

そしてその無理を糊塗するため、「酒税法による規制の直接かかわる事項ではない」とした園部補足意見でさえ「致酔飲料としての酒類の営業の自由」と云わざるを得なかったのではないか。とすると、この園部補足意見も心情的には限りなく違憲論に近いと云えよう。

これに対して坂上反対意見は、同じく多元的な考量を前提としながらも、「許可制による規制」即ち強度の職業選択の自由の制限を重くみて、「重要な公共の利益」のための規制であるかという観点から立法事実を精査し、その結果、酒販免許制の必要性・合理性につき酒税確保のための制度的手当にまで立法府の広汎な裁量を認めるまでもないとして、違憲の結論を誘導している。園部補足意見が「公共の福祉」重視の考量により妥協した、灰色の条件を付けたのに対し、坂上反対意見は「基本権」を重視の考量により、よりベーシックな審査基準を導いたものと云える。

5、これに対して多数意見は、酒販免許制による規制目的は「酒税の保全」にあると、多分に「タテマエ」としての規制目的を形式的に認定し、それが「明白の原則」に結びつけられると、「ホンネ」としての規制目的や効果を審査する迄もなく、極めて形式的に合憲の結論が誘導されるに至った。

この多数意見の論法の致命的欠陥はここにある。

ただ、最高裁判決当時(昭和五一年の処分時)としては

「違憲とまでは云えない」

としたところに多数意見の良心的遠慮が、多少でもみえるのが、せめてもの救いである。

6、以上により、本件酒販免許制は、最高裁判決から導入される理論を精査してみても、最高裁判決の処分当時(昭和五一年から平成四年まで)から、十六年を経過した本件処分時に於いて、正当な規制理由を有しない違憲な制度であることは明らかとなった。

そして、仮に被上告人の主張(酒税の保全が目的)を前提としたとしても、違憲審査基準(必要最小限度の原則)自体に反する事、さらに右基準の具体的な分析たる合憲性判断基準の三要素(目的の正当性、必要性・合理性、比較考量)の運用においても、いずれも要件を欠くものであることが明確とった。

第二、憲法違反の主張に対する判断

一、原判決の理由を一読してまず気付くのは、原判決の事実誤認と論理が実に古色蒼然としていたものである、ということである。

たとえば、原判決は、酒類販売業免許制度施工の理由を挙げるが、五十七年前に比べると現在では酒造業者、酒販業者をめぐる環境も、酒税についての考えかたも一変している。それだけでなく、酒販免許制が酒税の庫出課税実施に対する見返りとして設けられたもので、酒販免許創設に関する当時の説明が建前上だけのものであったことは、すでに歴史な事実である。時代は大きく変化しているというのに、このようなとうの昔に論破された理由を並べたててみても、とうてい世人を納得させることはできない。

酒販免許制が酒税確保のためだ、等という理由づけは「酒類業界内部にしか通用しない」という自省がなされている(醸造新報昭和五六年六月一一日・甲第三六号証)が、実際、このような議論が通用するのは「酒販業界と原審だけ」ということになるのではあるまいか。

二、原判決理由のもう一つの特徴は、原判決の論理が国税当局のいうところをそのままに繰り返しているだけであって、これを裁判所の立場で吟味し、検証し直した形跡がまったく見られないことである。試みに「酒類販売業免許制成立の経過」「国税収入中における酒税収入」「酒類販売業免許の運用状況」と拾っていっても、その項目も書いてあることも、すべて、被上告人の原審主張そのままではないか。判決には、眼光紙背に徹する、とまではいかなくても国家権力側のいうことでも、時には真実と疑わしいものがあるという立場でこれをふるいわけようと努力するくらいの慎重さは必要であろう。

三、酒販免許制の目的を酒販確保である、とすることに対する疑問の眼目は、酒販免許制度を設けることによって、なぜ酒税の確保が図れるのか、という点にある。この点について、原判決は

「したがって、このような酒税の賦課徴収の仕組みの中においては、酒類販売業者は、納税義務者である酒類製造者と最終的な担税者である消費者の中間に位置して、両者の間の税負担を適正かつ円滑に仲介する重要な役割を担っている」(原判決四枚目表十一行目から裏三行目まで)

というのであるが、まず、その説明が極めて抽象的である。

酒税転嫁の「仲介」とは何なのか、酒類製造業者の「納税資金の還流を円滑ならしめる」とは具体的には何を指しているのか、一向に明らかでない。原審だけがひとり勝手に「酒販業者の役割」に理解を示すだけで読む者には何のことなのか、さっぱり理解できないのである。それとも原判決は酒造業者の負担した酒税を消費者に転嫁する立場にあるのだ、ということだけを言うために、このような持って廻った言い方をしているのであろうか。そうだとすると、酒販業者の酒税転嫁の役割に関する原審の理解はまったくの誤りである。原審の誤りであるゆえんを箇条書風に列挙するとつぎのとおりである。

(1)当然のことながら酒販業者は酒税転嫁の義務を負うものではない。

酒税は庫出しの段階で酒造業者によって国庫に納付されれば国税としてそれで完結するもので、酒税担当額が酒類の価格に上乗せされることにより卸、小売を経て事実上消費者に転嫁されるにすぎない。酒造業者が酒税分を割り込んで卸売りするのも、それは酒造業者の自由であり、酒販業者においても同様である(酒税額以上の価格を強制するとすれば独禁法違反の問題を生ずる)。

(2)そして右のような事実上の転嫁の上での危険負担は、すべての間接税に共通することからであり、また原料の値上がり等のコストアップ、インフレその他の経済情勢の変化等の場合にも、常に存在することで、製造業者および上位から末端までの流通業者のすべてに共通するものである。

なぜそれらの中で酒税のみ、酒販業者のみを特別扱いにするのかということを原審は理解しているのであろうか。問題を間接税に限定してみても、転嫁についてのリスクを負うのは、酒造業者に限らないのに、なぜ、彼等からみれば不特定多数の第三者であるに過ぎない、酒販業者を免許制にすることによって拘束を加えるようなことまでして、そのリスクをカバーしなければならないのであろうか。

(3)右に対する国税当局の弁解は酒税の負担率が他に比べて高率・高額であるということにあり、原判決(一審)も、これをおうむ返しにくりかえしている。

しかし、それならば揮発油税は五五パーセントの高率であるが、これを「転嫁」すべきガソリンスタンドは免許制ではない(因みに被上告人は石油会社大規模で間接税負担率は小さいというが、酒造業者と酒販業者の関係のように、流通業者との関係で問題を考える場合に、ひっくるめて負担率を議論してみても無意味である)。

また酒税は高額というが、酒税の一兆九六一〇億円に対して石油三税は二兆一五六五億円であって決して低額ではない。

(4)なお、酒税は租税収入の第5位(実は六位)を占める高額というけれども、これも表現の問題であって、第一位、第二位の所得税は、二三兆二三一四億円、法人税一三兆七一三六億円、消費税は五兆二四〇九億円、相続税は二兆七四六二億円で酒税と隔絶した高額であり、そして揮発油の販売業者が免許制でないことは前述のとおりであり、物品税対象物品の販売業者が免許制であり得ないことも公知の事実である。

(5)そもそも、販売業者の経営状態を健全にさせることによって消費者から吸い上げた酒類代金を、確実に酒造業者に支払うようにさせ、それによってこれに含まれる酒税相当分の回収を確実ならしめる、という「酒税転嫁のための酒販免許」の考え方は、いかにも持って廻ったものであって「風が吹けば桶屋がもうかる」といった類のものでしかない。いかにも、頭の中で作り上げた理屈であるから、現在ではあちこちで破綻し、既存業者の保護という本音があらわれて取り繕うのに業界も行政(国税)も政界も、甚だしい慌てぶりを示しているのである。

四、このようにして、酒販免許制度維持のために酒販業者や国税当局が挙げる理由は、免許制度正当化の理由づけとして全て破綻してしまった。正当化できる理由は実は一つもないのである。そこで残るのは、酒販免許維持のための隠された理由だけであって、それは、国の力を藉りた新規参入の阻止とそれによる業界の利益の保持ということである。まさにそのことの為に、酒販業界は政界と国税当局に対してあらゆる政治力を行使している。酒販連盟から岩動代議士(国会酒販問題懇話会会長代理)に対する七千五百万円の不法献金隠し(甲第五九号証)等もその一角にすぎないであろう。

国税当局は酒販業界の要求に応えて免許制度を盾に新規参入阻止に全力を尽くしており、国税庁酒税課長が新規の酒販免許申請が「免許基準には一応パスしているというケースが多く、第一線の担当者は日夜その処理に苦慮しているのが実情であると新聞(甲第二二号証)の中で公然と発言しており、向高松国税局間税部長が、通達基準で出せば

「年間六〇〇〇件の免許を出さなければならないものを、それをうちの方が押さえている。だから年間二〇店ぐらいしか出していないだろう」「うちの統括でも必死でやっている。でなければそんな数字にならない」と述べているような事をやっている。

このような状況はつとに各方面の注目するところとなり、第一次臨調、第二次臨調で酒販免許廃止の方向が打ち出されたほか、政府の各機関でもその弊害がつよく指摘されている。公正取引委員会も、酒販免許が新規参入阻止の効果しか挙げていないことにつき、強い疑念を呈しており、独占禁止法制上の重大な疑問が提起されている。

第三、憲法二二条一項規定の解釈適用の誤り

原判決には、憲法第二二条第一項の職業選択の自由に関する規定の解釈適用を誤った違法がある。

一、原判決は、酒税法第九条と同一〇条一一項による酒類の販売業者のついての酒販免許制が設けられた目的を、不安定な酒類販売業者により、酒類代金の回収が気温難となり、これによって酒造業者の経営の不安定を招き、その結果の滞納を回避して税収入の保全を図ることにあるとしている。

原判決は、右に「堅実な経営」及び「酒類の需給の均衡」を挙げ、それが酒税収入の保全につながるものとしているが酒類販売業者が、債務超過に陥ったり、支払停止の状態になったりしない限り(すなわち、いわゆる倒産の状態にならない限り)、酒税の納付は行われ、酒税収入の保全に支障はないわけであるから、結局のところ、原判決の前記認定は、酒販免許制が、酒類販売業者の倒産防止に役立つていることを述べていることに帰する。

原判決(一審・一六枚目裏一行目から三行目まで)は、別の箇所で、「酒販免許制は、酒税の滞納率には様々な社会的、経済的要因が関係してくるが、これを以て直ちに酒販免許制度が滞納防止に効果がないとは云えない」と述べているので、この点からみても、原判決が、酒類販売者の倒産防止に酒販免許制の根拠を求めていることは、間違いないところと考えられる。

二、ところで、酒類販売業者の倒産が防止できれば、それが酒税収入の保全に役立つとしても、その効果は、全く反射的・間接的なものにすぎない。

しかも、酒類販売業者の倒産防止と、酒税収入の保全との間には、右の反射的・間接的な関係が、何段階にもわたって介在するのである。

ここに、酒類が酒税納入義務者である酒類製造業者から卸売業者を経て小売業者に供給される場合を考えてみよう。酒類販売代金は、消費者から小売業者に、小売業者から販売業者に、卸売業者から酒類製造業者に、それぞれ納入されることになる。

小売業者の乱立や過当競争が防止されて、小売業者が倒産しないことにより、卸売業者の小売業者に対する酒類販売代金の徴収の保全に役立つと一応考えることができるとしても、その効果が、飽くまで反射的・間接的なものであることは、いうまでもない。けだし、小売業者は、卸売業者への代金の支払を直接の目的として、酒類の小売業を営んでいるものではないからである。

次に、卸売業者についてみれば、小売業者からの酒類販売代金の保全が図られて、その倒産がないことにより、酒類製造業者の卸売業者に対する酒類販売代金の徴収の保全に役立つと一応考えることができるとしても、その効果が、反射的・間接的なものであることは、いうまでもない。

けだし、卸売業者もまた、酒類製造業者への代金の支払を直接的の目的として、酒類の卸売業を営んでいるものではないからである。

さらに、酒類製造業者についてみれば、卸売業者からの酒類販売代金の徴収の保全が図られて、その倒産がないことにより、酒税納入義務者たる酒類製造業者からの酒税の徴収の保全が図られたとしても、その効果が、これまた、反射的・間接的なものであることはいうまでもない。

けだし、酒類製造業者もまた、酒税の納入を直接の目的として、酒類の製造販売業を営んでいるものではないからである。

なお、蛇足ながら付言すれば、国民が営む如何なる職業ないし営業であれ、それを税金の徴収に奉仕することを目的とするものであるとみるようなことは許されない。けだし、それは国民を奴隷化する国家を承認することに帰するからである。いかに酒税が国の重要な財源であろうとも、酒税収入の保全に係わりがある職業ないし営業の直接目的を、酒税収入の保全にあるとみることが許されないというべきである。

三、右にみた如く、酒類免許制の目的につき、「酒類販売業者の堅実な経営、酒類の需給の均衡を通じて、酒税収入の保全を図ることにある」としたことについては、小売業者の経営状況と卸売業者による、代金徴収保全との関係、卸売業者による小売業者からの代金徴収状況と酒類製造業者による代金徴収保全との関係及び酒類製造業者による卸売業者からの代金徴収状況と酒税収入保全との関係が、それぞれ反射的・間接的であって、小売業者の経営状況から酒税の収入保全に至るまでに、三段階の反射的・間接的な関係を累積してはじめて、漸く小売業者の経営状況の良さが酒税収入の保全に役立つという説明がつくことになるのである。

四、最高裁判所の判例においては、

「一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないし経済政策上の積極的な目的のための措置」

であることを要するものとされている(昭和五〇年四月三〇日大法廷判決)。

しかして、右の判決にいう「社会政策ないしは、経済政策上の積極的な目的のための措置」とは、その措置が直接に社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的を有する場合を指し、その措置の反射的・間接的な効果としてそのような目的が達せられる場合はこれに含まれないものと解すべきである。けだし、そのように解しないと、右最高裁判所判例が、原則として職業の許可制を否定する「自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的・警察的措置」についてみても、反射的・間接的には、社会政策ないし経済政策上の積極的な目的に役立つことを認め得る場合があるので、判例によって確立された両者の区別が無意味なものとなってしまうからである。

しかも、反射的・間接的な効果であっても、かつまた、それが数段階にわたる反射的・間接的効果を累積して漸く認められる場合であっても、これを直接の目的とする場合と同様に取り扱うことになると、すべては理屈の付け次第ということになり、憲法で保障された職業選択の自由は、立法府が立法にあたってつける理屈次第で容易に職業の選択を許可制にすることを可能にしてしまうのである。

かかる結果は、憲法の保障する職業選択の自由を画餅に帰せしめるものであり、憲法解釈上、到底認められるべきところではないと考える。

七、なお、ここで「酒税保全」ということにつき、附言しておきたい。

「酒税保全」とは、酒税を如何に多く賦課するかということでなく、賦課した酒税を如何に取りはぐれのないように徴収するかの問題であることは「保全」という語に照らしても明白である。

また単なる滞納防止とは、そもそも、前記最高裁判例にいう「社会政策ないし経済政策上の積極的な目的」とは、その目的が目的が具体的であるあることを要するものと解すべきである。

酒税保全の目的が、職業の選択につき許可制を採用しうる理由の説明とはなっていないものと云わなければならない。

第四、恣意的運用の極

最後に左に図表を掲示する。これは誰でも入手できる国税のPR用パンフレット「酒のしおり(甲第一五号証)」からの抜粋である。

これによれば酒販免許制が制定された昭和一三年には、酒の小売やさんは三三万七千店あったことが分かる。それが戦中戦後の激動期を経てひとまず落ち着きを見せ始めた昭和四〇年以降を抜粋してみても異常の程は歴然とする。次表によれば、昭和四〇年から処分時の平成四年までの酒類の消費量は五、八五九キロリッター増加している。これに対して全酒類小売販売場は二万五、二九三場である。消費量で二六四%の増加に対して、免許場で二三%の増加に止まっている。

酒販免許場数と消費数量の変遷状況(酒のしおり21頁と37頁より抜粋)

〈省略〉

右の表から導き出せる毎年度の指標は、左のとおりである。

期間 増加数量KL 増加販売場数(全酒類小売)

昭和四一年~四五年の年平均 二九九KL 一七一三場

同四六年~五〇年の同   二三二KL 一九八六場

同五一年~五五年の同   一七一KL  九六三場

同五六年~六〇年の同   六三KL   六四三場

同六一年~平二年の同   三三二KL  三二四場

平成三年~四年 の同   一八三KL   九三場

右の表を見ただけで背中に戦慄を覚えない人がいるだろうか。

第一次臨調が始まったのが昭和三九年であり、その答申が奇しくも、昭和四〇年であった。あれから政府関係の勧告は一八回に及んでいる。

それも、酒の消費量が減少しているのならともかく、昭和六一年から平成二年までの年平均の増加率は過去最高なのである。それで二〇年前の六分の 一に減らす理由がどこからくるのか、到底理解することができない。

だから云う訳でもないけれど、少なくとも、臨調も、物価安定会議も、公取委も、企画庁も黙っていた当時の方が、被上告人は、免許を大量に許可していたのである。だから本件で、葛飾区内には一七〇場も余裕があるという上告人の主張を、「原告独自の計算で採用できない」(一審判決一七枚目表三行目)と退けてしまったが、そういう判示をするから一五〇〇人に一場等という、終戦直後の状態に戻す国税の企みに、まんまと荷担させられてしまったのである。(一五〇〇人に一場では全国で八万場で足りるという計算になる)

それでは何が面白くて国税はかかる恣意行政をするのであろうか。最近の大蔵省の住専問題を見るにつけ、大蔵上位の感覚が抜けきらず管轄業界を免許で押さえ込めると過信してしまったとしか云いようがないのである。

むろん本法廷では立て前上、「酒税の保全」等と口にするが、もはや、大蔵族の中に酒販免許が酒税の保全に役立っている等と、本気で思っている人は一人もいないと思う。だから、国税庁広報部は免許は開放経済に向かってどんどん出している等と、平気でウソを公表しているのである。

特に合憲判決が発表された昭和六二年以降は、目を覆いたくなるような、惨状である。

ここに於て、国税による合憲判決を奇貨とした恣意行政は、極まったというべきである。

ここにも酒販免許制運用の違法は歴然として、動かしようがない。

以上

(平成八年(行ツ)第八八号) 上告人 共立酒販株式会社 外一名)

上告人合名会社杉並酒販の上告理由

目次

第一、職業選択の自由について

一、はじめに

二、職業選択の自由とその規制

三、最高裁の判断基準

第二、酒販免許制の違憲性

一、酒税確保は積極目的か消極目的か

二、導入の時代的背景と真の目的

三、酒税確保に役立っているか

四、保健衛生に役立っているか

五、LRAについて

六、要件と内容

七、運用の恣意的実態

八、社会動向を無視した審理不尽

九、酒価操作

第三、結語

第一 職業選択の自由について

一、はじめに

酒類の販売行為は憲法第二二條一項の規定する職業選択の自由・営業の自由の保障の範疇にあり、その自由保障を最大限受けることのできる基本的人権である。そして、この基本的人権として自由を保障される酒類販売行為について酒税法九條一項が定める酒類販売免許制(以下酒類免許制という)という規制措置は、憲法上の基本権を規制する措置としては合理的根拠を欠き、極めて不当であって違憲無効なものである。

以下、違憲論の根拠を具体的事実をふまえて論じてゆく。

二、職業選択の自由とその規制

酒類販売行為は、営業の自由に含まれるものであって、本来的に自由な、私的経済活動である。

一般に職業選択の自由とは、自己の職業を選び、かつ、その職業を遂行する自由(営業の自由)を言うとされている。

職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。憲法第二二條一項が職業選択の自由を基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。そして、このような職業の性格と意義に照らすとき、職業は、ひとりその選択、すなわち職業の開始、継続廃止において自由であるばかりでなく、選択した職業の遂行自体、すなわち、その職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請されるのであり、したがって、右規定は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障をも包含しているものと解すべきである。(最高裁昭和五〇年四月三〇日判決)酒類販売行為は、右の営業活動の自由に属する私的経営活動として、憲法上の基本的人権としての保障を受けるものである。

ところで、職業選択の自由、営業の自由と言えども、これが全く無制限に許容されるものではなく、社会の経済活動の発展に伴い、自由な経済活動を放置することによる弊害を防止し、あるいはその弊害を最小限度におさえる必要がある場合などには、この自由に一定の合理的規制措置を講ずることも社会生活上許されることがありうる。

しかし、このような場合に国が講じうる規制措置は、右の目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまり、更に、その規制の対象、手段などにおいて具体的な理由と必要性及び社会的妥当性を具備していなければならない。

本件で問題となっている酒販免許制という規制は、その目的、規制態様、規制による効果などいずれの点においても、後述するように右憲法上の基準を満たしておらず、これまで確立された最高裁判例の基準に照らしても、合理的的根拠を欠き違法であることは明らかである。

三、最高裁判所の判断基準

職業選択の自由・営業の自由に関する最高裁判例の立場は、昭和四七年一一年二二日、大法廷判決及び同五〇年四月三〇日、大法廷判決に代表される。

前者は小売業調整特別措置法、後者は薬事法に関して、営業の自由に対する規制立法が具体的に争われたものである。

右判例は、営業の自由も職業選択の自由の自由の中の含まれ、憲法上の保障を受けるものであるという大原則を肯定したうえで、その自由に対する規制立法の合憲性を行っている。

その合憲性の判断に際し、右判例は、その規制目的を積極目的と消極目的の二つに分類し、前者については合憲性の判断基準を「明白性の原則」に、後者については「より制限的でない他に選び得る手段」によって検討し、判断を下すということを行っている。

ここで、判例の云う積極目的とは、国が経済全般の適切な調整、発展を促すため、主として社会的・経済的弱者の人権を擁護する、これに対して消極目的とは、社会生活における安全の保障や秩序の維持等であろる。

右の目的による区分によれば、積極目的による規制については、国政全体の下での政策的判断に基づいて立法がなされるため立法者による裁量の範囲が廣くなることと、規制の目的が、基本権の実質化をはかるものであることなどの理由から、規制の合理性の判断基準は、立法府がその裁量権を逸脱し、その法的規制が著しく不合理であることが明白であるか否かという「明白性の原則」の基準によって合憲性判断がなされ、消極目的による規制については、社会生活における安全の保障や秩序の維持という警察目的上の観点による規制であるから、比例の原則により、その規制が必要最少限度の規制か否かという「より制限的でない他に選びうる手段」という基準によって合憲性の判断がなされたことになる。尚、平成四・一二・一五・最高裁判決については、控訴準備書面その他の項で詳述しているので、ここでは省略する。

第二、酒販免許制の違憲性

一、酒税確保は積極目的か消極目的か

1、本件判決以前のこれまでの合憲判決としては、昭和五八年判決青森地方裁判所、同五九年東京地方裁判所、同六〇年千葉地方裁判所の外一〇件もあり、これらはすべて税収確保を簡単に積極目的と判断し立法府の裁量論(明白性の原則)を展開していた。しかしながら税収確保は積極目的とは言えない。

すなわち、これらの判決が依拠している小売市場許可制合憲判決(最高裁昭和四七年一一月二二日判決)は、消極目的規制と積極目的規制の区分について次のとおり述べている。

「おもうに、右条項に基づく個人の経済活動に対する法的規制は、個人の自由な経済活動からもたらされる諸々の弊害が社会公共の安全と秩序の見地から看過することができないような場合に、消極的に、かような弊害を除去ないし、緩和するために必要かつ合理的な規制である限りにおいて、ゆるされるべきことはいうまでもない。のみならず、憲法の他の条項をあわせ考察すると、憲法は、全体として、福祉国家的理想のもとに、社会経済の均整のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請していることは明らかである。このような点を総合的に考察すると、憲法は、国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定しているものということができ、個人の経済活動の自由に関する限り、個人の精神的自由に関する場合とは異なって、右社会経済政策の実施の一手段として、これに一定の合理的規制措置を講ずることは、もともと、憲法が予定し、かつ、許容するろころと解するのが相当であり、国は、積極的に、国民経済の健全な発達と国民生活の安定を期し、もって社会経済全体の均衡のとれた調和的発展を図るために、立法により、個人の経済活動に対し、一定の規制措置を講ずることも、それが右目的達成のために必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、許されるべきであって、決して、憲法の禁ずるところではないと解すべきである」このように右判決は、憲法が福祉国家的理想のもとに、社会経済の均衡のとれた調和的発展を企図しており、その見地から、すべての国民にいわゆる生存権を保障し、その一環として、国民の勤労権を保障する等、経済的劣位に立つ者に対する適切な保護政策を要請していることは明らかだとし、このような点を総合的に考察すれば、憲法は国の責務として積極的な社会経済政策の実施を予定していると判断しているのであるから、その「積極的な社会経済政策」が、生存権(社会権)の保障及び社会的経済的弱者の保護を目的としたものであることは明らかである。

それ故、酒販免許制の目的が前記下級審判決のいうとおり税収確保であるとしても、かかる税制目的は社会的経済的弱者の保護を目的としたものではないから右最高裁判決のいう積極目的の中に含まれないと、解すべきである。むしろ酒販免許制の目的は自由販売による共倒れ等の弊害によって酒税の納税義務者たる酒造業者に滞納が生じないようにするという、換言すれば滞納の予防という極めて消極的な性格のものにすぎない。

なお、酒販免許制は一般に立法府に広汎な裁量権が認められていると解されている租税政策(すなわち、いかなる租税を課するかという問題)そのものでなく、あくまで特定の租税の税収確保のための規制手段にすぎないのであるから、租税政策のように広汎な立法府の裁量が認められるものではない。むしろ、憲法一三条に規定する人権保障の基本原則に立脚し、必要最小限度の原則が適用されて然るべきと言うべきである。

いかなる対策を課税対象にし、その税率をどうするかという点については、個人の経済的行為の成果をどの程度国が吸収するかという問題であるから、立法府の裁量の余地をある程度広く認めうる。

しかしながら、免許制という規制は経済的的行為の成果ではなく、行為そのものを規制するものであるから立法府の裁量の範囲はより限定的なものにならなければならない。

以上のとおりであるから、税収確保を積極目的と判断し、「立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることが明白である場合に限って、これを違憲としてその効力を否定することができるものと解するのが相当である」という、いくつかの下級審判決は、明らかに誤りである。

2、これに対し、原判決では、酒税確保の目的を積極目的であると位置づけることの矛盾と限界を認めたうえで次のように判示した。

「酒販免許制が、免許制(許可制というに同じ。)であるが故に、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制をこえて、職業の開始自体即ち狭義における職業選択の自由そのものを規制するものであることは言うまでもないところ、このような規制をもたらす酒税保全という財政政策上の目的は、果たして、国民経済円満な発展や経済的弱者の保護等の経済政策ないし社会政策上のいわゆる積極的なものなのか、それとも、社会生活の安全の保証や自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害の防止等のいわゆる消極的なものなのであろうか。(最高裁昭和四三年「行ツ」第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)

「思うに、酒税保全ということが、国の財政政策であるからといって、直ちにそれが、右の積極的なものと断定することはできない。蓋し、この財政政策によって取得される税収は、右の消極的なもののためにも使用されるからである。しかし他方、酒税保全といっても、酒税免許制は、既に成立している酒税債権の徴収方法の問題にすぎず、その直接の狙いは、酒税の滞納の防止ということに尽きるとして、右の消極的なものであると論断することも相当ではない。蓋し、滞納の防止は、酒税保全の目的には、単なる滞納の防止上の右の積極的なものをも包含しているからである。即ち、結論的には、酒税保全という財政政策上の目的は、右の積極的なものでもあり消極的なものでもあって、そのいずれか一に帰せしめるのは相当でないというのほかはない」

従って、裁判所は、もとより酒販免許制の採否が立法政策上の問題である以上、立法府の広範な裁量権に基づく判断を尊重すべきものであるが、よって採られた具体的な酒税免許制という規制措置が、著しく不合理であることが明白とはいえないからといって、直ちにこの立法府の裁量を是認すべきではなく、やはり、必要最小限の規制でなければならないとはいえないにしても、免許制に比してよりゆるやかな制限でもある職業活動の内容及び態様に対する規制によっては、右の目的を達成するに充分でないかどうかを一応検討しなければならない。

そうして、右の立法府の広範な裁量権と免許制以外のよりゆるやかな規制の有効性との両者の視点をふまえて、立法府のとった裁量権措置である酒販免許制が、その内容を含めて、凡そ基本的人権の一である職業選択の自由に対する重すぎる規制であるということができるときは、立法府の広範な裁量権にもかかわらず、その合理的範囲を逸脱したものとして右の規制措置を違憲無効とすべく、そうでなければ、これを合憲とすべきなのである。(前掲最高裁大法廷判決、最高裁・昭和四五年「あ」第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決、刑集二六巻九号五八六頁参照)。

そこでまず、酒販免許制以外のよりゆるやかな規制措置について考察し、次いで酒販免許制の要件ないし内容等について検討する。

3、しかしながら、酒税保全というときに、ここで問題となるのは、いかに酒税を確実に徴収するかということ、すなわち、滞納の防止であって、そのほかに酒税保全に別の内容があるわけではない。酒税保全・滞納防止ということそれ自体は、国民経済の円満な発展や経済的弱者の施策として直接的な意味を有するものではないのである。

たしかに酒税として徴収された税金は、他の多くの税収とあいまって、国の施策に従い様々な目的に費される目的の中には、国民経済の円満な発展や経済的弱者の保護等の経済政策ないし社会政策上のものもあるであろうが、徴収された酒税全額が国民経済の円満な発展や経済的弱者の保護等の経済政策ないし社会政策上の目的のために消費されるのではない。酒税が徴収されたのちに、これを含んだ全体としての税金がどのように使われるのか、すなわち税金がいわゆる「積極目的」で費消されるか、「消極目的」で費消されるかということと、酒税の保全、すなわち酒税の滞納をいかにして予防し防止するのということとは、直接的な関係にない。

この点を故意に混同し、あるいは看過してなされた「酒税保全の目的」が「積極目的」でもあり「消極目的」でもあるというのは、これまでの最高裁判所の判断基準の適用を誤るものである。

原審はこの規制の対象の差異とそこにおいて許される裁量の範囲の違いを無視した誤りがある。

4、従って、本件免許制の合憲性の判断にあたっては、消極目的の規制の場合における「より制限的でない他に選びうる手段」という判断基準に基づいて、具体的な事実を厳密に検討すべきである。

二、導入の時代的背景と真の目的

1、原審は、酒販免許制が酒税保全の目的であり酒税確保に役立って来たことを随所で認定し、同制度導入当時を

「昭和一三年の酒税法改正案について、政府は酒税の保全を期するため、酒類販売につき免許制度を採用することとした旨提案趣旨説明をしていることが認めらるから、酒販免許の採用が控訴人ら主張のような立法目的によるものではないし、甲三二号証によれば、酒造業者が倉出課税に反対した理由も、酒類代金の回収が不確実なまま、倉出課税が採用される不利益を慮ってのものと認められ、従って、酒造業者が倉出課税に反対したから、酒販免許が採用されたというよりも、酒税の賦課徴収の仕組みを十全ならしめるためには、酒販免許制が必須のものとみとめられるのが正鵠を得ていると解される」

と、この件だけ自分の意見を述べている。

しかし、倉出課税に酒造組合が反対したことも事実であるし、酒造業者が、わざわざ賦課徴収の十全を期待するとも考えにくい。

しかも、それは昭和十三年であり、今から五七年前の乙一〇号証にもっぱら依拠して、酒販免許制の撤廃は酒販業者の乱立を招来し、過当競争から経営不安定へ、それから代金回収の不能、更には酒税滞納の増加という図式的因果関係に立つ事態が再来すると考えたようであるが、原判決は昭和初期の我が国の社会・経済の動向について、どのような理解に立っていたのか、その未熟さには呆れるほかはない。

そして折角、甲三二号証を読んだのなら、すぐその次頁に石原政府委員が「酒税確保にそれほど効果があるとも思えない」と自白している記事こそ重大とみなければならない。

しかも、昭和一三年当時に於いてさえ、酒販店の乱立と酒税の滞納とは全く因果関係がないのであって、酒税の滞納は純粋に景気の動向によって左右されていたに過ぎない。

このことは、当時の我が国の社会経済の動向と、それを正確に反映した酒造業界の情勢をみれば明白であり、この事を明確にするために、酒販免許制導入の時代的背景を次に概観してみる。

(一) 昭和初期の我が国は、第一次世界大戦後の反動期にあたり、戦争による特需景気が終わり停滞期に入っていた中で、震災手形の処理に端を発した昭和二年の金融恐慌によって大打撃を受けるに至った。短期間に次々と銀行が休業する中で市民は恐怖の念に襲われ、市場は大混乱となり、半狂乱の預金者は取り付け心理の虜となって、銀行に殺到する有様となった。

これに対して政府が日銀より約二〇億の緊急融資を行い、これにより一応沈静化をみるに至り、全国の銀行はそれぞれ門戸を開いたのであった。

昭和金融恐慌の我が国の経済に与えた影響は、各方面に於いて極めて深刻なものがあった。なかでも銀行に対する不信は大きく、銀行の預金は減少して、逆に郵便貯金を増加させた。また、破産した銀行の多くは、それぞれの関連事業をもっていたから、それが金融上の打撃を受けて事業を縮小した。そしてこのとばっちりを受けたものが地方の中小企業であった。

昭和三年には中小企業の倒産と操短が相次いだ。その中で清酒製造業界もその例外ではなかった。昭和元年には五八〇万四〇三五石の造石から昭和三年には四二三万八三八三石と減少している。

金融恐慌による経済の減退は直ちに一般消費者の購買力の減退に繋がり、このため酒造業界は過剰生産となり、ためにダンピングや多くの景品付き販売が横行する等、混乱状態となった。昭和元年から昭和四年までの間に六二八の製造場が廃止され、昭和四年の製造場は八九六四場にまで減少した(酒造組合沿革史・甲第五四号証の三二頁)

(二) 日本経済が金融恐慌による不況から立ちなおれずにいる状態の中で、更に、史上未曾有といわれる世界大恐慌の渦の中に巻き込まれるに至ったのである。一九二九(昭和四年)年一〇月二四日「暗黒の木曜日」に起ったニューヨーク・ウオール街での株式の大暴落は、世界大恐慌の発端となり、資本主義国に次々と波及するに至った。日本でも貿易は不振を極め、物価は暴落し、国内産業の殆どが不振となり、昭和五年から七年には、会社の減資、解散が相次ぎ、失業者も巷に溢れて騒然とした。

一方、農村における不況は一層深刻であり、特にアメリカ市場に全面的に依存していた生糸生産者は生糸価格の大暴落により、大打撃を受け、続いて、夏野菜、米価の暴落による農村の惨状は目を覆うばかりであった。こうして農村経済は完全に破綻した。米価等も生産費を償わず、農家の所得は自作農においてさえ、昭和六年には昭和四年の五〇%にも達していない有様であった。負債は累増した。中小規模清酒生産者の販売基盤である農村が、このような惨状であったから清酒業界に及ぼす影響は想像を絶するものがあった。また、都市における中小企業や商店も、この不況によって徹底的にたたきのめされた。

当時の新聞は「小売商の夜逃げーーー長期に亘る深刻な不景気が社会の各層に浸潤しているが、第一に悲鳴をあげているのが小売人で、最近郊外方面に夜逃げ事件が相次いで起こっている。中野方面の如きは二月に入って二〇数件の夜逃げ事件がありーーー」と報じている程である。不景気による購買力の低下と消費意欲の減退は、特に著しかった、と報じている。

(三) こうした社会の情勢をうけて酒造業界も深刻な不況に陥る。このことは大手酒造めーかーである白鶴酒造(株)が昭和五二年に発行した「白鶴二三〇年の歩み(甲第三一号証)」に記載されているので引用する。

即ち、それに依れば、(昭和恐慌と全国酒造業の動向)

「第一次世界大戦で「繁栄」をかちえた日本経済も、大正末期には大正十一年の金融恐慌、同十二年の関東大震災によって大きな打撃を受け、暗雲低迷の中に「昭和」を迎えた。その昭和も、入って間もない昭和二年には金融恐慌、昭和四年十月に始まり同六年にピークに達した世界恐慌という大事変に見舞われた。とくに昭和二年の金融恐慌は、第一次世界大戦の生んだ神戸の新興財閥鈴木商店の破産と、政府銀行であった台湾銀行の破綻をもたらしたほか、日本の銀行界を未曾有の大混乱におとしいれた。そして時の第一次若槻内閣を倒壊させたが、その契機となったのは「震災手形」であった。その震災手形とは、つまり関東大震災が生んだ後遺症であって、これによって確立したばかりの日本資本主義が銀行制度の面で、その矛盾を露呈したのであった。金融恐慌による銀行の破綻と、それに続くモラトリアム(支払延期)の実施、そして銀行貸出の引締めは、わけても繊維工業などの中小企業に大きな打撃を与えたが、酒造業界においても、需要の減退、酒造金融の逼迫に追い込まれるとともに、他方、酒造税の滞納者・転廃業者が続出した」いま、その逼迫せる酒造業の様相を造石高・製造業者数・消費量でみると、大正十二度年に於いては製造場数九九三二場で、五四四万九〇〇〇石の生産量を示し、国民一人当りの消費量は一斗三合であったが、続く不況に需要は減少するばかりで、昭和に入ってからは、昭和二年までには製造場数は五六八場も減少して九三六四場となり、生産量は九二万八〇〇〇石も減少して、四五二万〇七一一石となり、国民一人当たりの消費量も七升九合に低下した。ことに農村に市場を有する地方酒造業者の売れ行きは不振の極に達し、当時の地方新聞記事に「一升の酒を求めるのに五升の米、一斗の大豆を売らねばならぬ悲境」であった」

と、記載しているほどであった。

翌三年にはやや増石しているが、昭和四年には、日本酒造組合中央会は減石警告を発し、各業者の生産量を過去三年間の平均生産量に対し、一〇パーセント減の生産規制を行った。それにもかかわらず、酒は生産過剰の状態で市場に充満し、酒税は上がるが逆に酒価は下がるという現象を呈し、倒産者が続出した。したがってそれ以降昭和五、六年にかけて減石のどん底におちいり、昭和五年一月の浜口内閣による金解禁は世界恐慌に加えて、さらにわが国の経済を不況に追い込み、そのしわよせは農村・中小企業に集中したので、酒造業者の資金繰りも悪化し、転廃業者が続出した。製造場数は昭和五年度に一九四場、同六年度に二九二場の減少がみられ、昭和六年度の製造場数は八四八一場となり、生産量は三二八万四五〇四石と激減し、国民一人当たりの消費量も五升四合とさらに低下している。時、あたかも醸造業界の各権威者が酒造業界の苦境をみるにしのびず、矢部規矩治博士の「産業合理化と醸造」や高橋貞造博士の「酒造界不況救済策」が世に出たのもこの時であり、東京財務監督局鹿又親先生の「酒造政策の確立を論ず」や住江金之博士の「酒造家に有利なる副業を提唱す」の具体策が論じられて、世の注目を浴びたのであった。

この間、全国酒造組合聯合会の統制力の弱体化がたびたび問題にされ、遂に新たに昭和四年四月十三日に、大蔵大臣の認可を得て「酒造組合中央会」が設立された。しかし同年十月二十日、「暗黒の木曜日」といわれたウオール街の株式市場の大暴落を契機に、世界大恐慌の波及はあまりにも大きく、酒造組合中央会の努力にも拘わらず、過剰在庫と乱売はますますエスカレートし、酒造業界は悪化の一途をたどった。

しかし、この昭和五、六年にかけての減石がどん底で、昭和六年の満洲事変の勃発と同年十一月の金輸出の再禁止で、わが国の経済はインフレーションに転換した。これを契機に昭和七年より需要の増大に対して生産高は前年度より一五・九パーセント増の三八〇万七九八九石となり、翌八年度にはさらにに四〇一万二四三四石となり、同十年度にかけては緩慢ではあるが三七〇万台を維持して、辛うじて、酒税回復への兆候を示したのである。(添付資料「白鶴二百三十年の歩み」甲第三一号証参照)

(四)右の未曾有の大不況という社会・経済の情勢とこれを反映した酒造業界の状況とそれらの時代における酒税滞納率を比較すると、次のことが判るのである。表一(添付資料「租税滞納率推移表」甲第三四号証)の租税滞納率の変化をみれば、昭和二年ころから昭和七年にかけて(特に昭和五~七年)酒税の滞納率は高くなっているが、昭和一一年からは極めて低くなり、昭和一二年の酒税の滞納率は、〇・一〇八パーセントと金融恐慌・昭和大恐慌前よりも改善されている。これは景気の動向と酒税滞納率の変動が一致していることを示しており、これは酒税の滞納が「酒販店の濫立」によってもたらされたものでなく、金融恐慌及び昭和大恐慌によってもたらされたものであるとの結論を明白にしてくれる。

昭和四~七年の昭和大恐慌下における酒税の滞納について酒税組合中央会沿革史は次のように言う。

「いうまでもなく経済界の不況、農村の窮状は、直ちに酒の売行に反映する。その上に業界は依然として慢性的な過剰生産の状態にあったから酒価は低落する。当時の地方農村における酒代金の回収は、年二期盆、暮れ決済がなお根強く残っていたが、この売掛代金の回収が意の如くならない。そのうちに酒税の時期が到来するから、無理算段して納税せねばならない、なかには酒をダンピングして納税の納入に当てる、それすらかなわない者は、やむなく酒税を滞納する、といった悪循環の渦のなかに、とりわけ中小規模業者が巻き込まれた。由来酒造業者にとって酒税の滞納は、余程のことがなければするものではないが、事実この時期にはそれは激増している。まして、清酒の出荷石数は、昭和五酒造年度から下降線をたどり、七酒造年度に底をつき、清酒の販売価格も低落し、昭和六、七年度の頃最低を記録している。又、酒造場数も昭和六年七年にはそれぞれ約三〇〇場数ずつ減少し、昭和七年には八一九九場となっていた。

酒造業者のうちには納税資金調達のために乱売する者、あるいは、市場において景品付き販売などを行って売り急ぐ者があるといったありさまで、しかも市場の消化不良は、乱売をも受け付けず、遂には滞納処分をも甘受せざるを得ないこととなっており、その窮状は惨憺たるものであった。

なお、念のために指摘しておくならば、右に述べられた当時の生産量及び消費量の激減という事実は、判例の言う酒税滞納率の増加の根拠である

「酒類販売業者の濫立」とは全く相反する事実である。

(五)更に、酒造業者の激減を「酒販店の濫立」によるものであるとして、酒販免許制の根拠とすることも誤つている。

確かに酒類の製造場数は明治一七年の一六五〇〇場から昭和十三年当時には七二四〇場に減少しているが、昭和十三年直前に激減しているわけではなく、明治十七年以降毎年一〇〇場ずつ漸減してきているからであり、(もっとも、世界恐慌時の昭和四~六年には、年間二〇〇~三〇〇場の激減が見られるが、このことは既に指摘してきたように、酒造業者の激減が酒類販売店の濫立からもたらされるものではなく、一般的な景気不況に基づくものであることの証明でもある)、こうした酒造業者の減少は業界の合理化に基くものだからである。このことは、昭和十二年の貴族院の会議での政府委員の次の発言からも裏づけられよう。

「構成している酒造業者は、昭和六酒造年度当時には九二七〇名であったものが、昭和一〇酒造年度には八三二一名、約一〇〇〇名が減っている。

これは、酒造業が次第に合理化されて合併等の起こるものもあるし、また小規模で経営を不利とする者が廃業するという状況にあるので、現在の業界の大勢としては、なるべくある程度業者数が減少し、事業が合理化されるという大勢はやむを得ないのではないかと思っている。」(「酒造組合中央会沿革史」甲第五四号証)

従って、酒造業者の減少をもって、酒類販売免許制導入の論拠とするのは誤っており、このことは、昭和十三年以降も酒造業者は相変わらず漸減しつづけたことをみても、また昭和十八年に企業整備令により三六六六場に減らされたことからしても明らかとなろう。

(六)更に酒販免許制が「酒税確保」を目的としていなかったことは次の時代的背景と酒税の課税状況とを考察すれば自ら明らかである。

前述の二つの大恐慌を経た我が国は昭和六年九月の満洲事変勃発後、準戦時体制へと進んで行った。

時の政府は、軍事費の増大等による膨張財政をとり、これにより工業生産を刺激し、インフレーション的傾向をとりつつ経済の建て直しをはかっていった。このよなインフレ膨張政策による国民経済の回復に伴い、清酒業界も昭和八年に至り清酒の出荷石数も上昇に向い、又、販売価格も低落に歯止めがかかり、ようやく回復していき、酒税の滞納も減少していった。

しかし、インフレ政策は極端な赤字公債の発行を招来させ、財政の重圧となっていったため歳入の増加を目的とする臨時租税増徴法が成立し、酒造税については、従来酒精分二三度以下の清酒について一石当り四〇円であったものを四五円に増徴されたのである。

昭和十二年七月、日華事変の勃発を機に我が国は準戦時体制が強化されるにつれて、我が国の経済は完全な統制経済へと突入し、国家総動員法を中核とする戦時経済統制法制が本格的に展開されていった。

昭和十二年には統制経済下における中核である国家総動員法が第七三回通常議会において成立し、これにより物資・生産・金融・会社経理・物価・労働等ありとあらゆる分野において政府の統制が及ぶこととなった。これと同時に、政府は物資動員計画を昭和十三年一月一六日に樹立し実施した。これによれば軍需資材確保第一主義をとり物資の配給については民需品は最下位におかれ、更には民需の大幅な圧縮がとられることが決定されたのであった。酒販免許制を導入することは、このような経済の完全な統制という統制経済の目的と合致していたのであった。

こうして、国民経済は軍事目的の重工業化が強化される一方で商業・農業は沈滞するという、は行的経済となり、国民の消費意欲は頗る抑圧されていった。農業生産の衰退と消費意欲の抑圧は直ちに清酒業界にも影響し、政府の指示にもよるが、酒造量の減少となり、又、消費意欲の減退は再び酒の需要の停滞となり酒の売行不振を生ぜしめた。

一方、経済の統制と同時に戦費調達のための増税がなされ、日華事変の長期化に備えて支那事変特別法が成立した。

これにより酒税法とは別に酒類を物品税の第三種物品として課税対象とし、石当り五円の物品税を課税することとし、酒に対し移出課税(庫出課税)をとったのであった。この結果、酒造業界は一方で課税が強化され、他方では統制経済下消費の低下という困難な状態を強いられることとなったのである。(添付資料「酒造組合中央会沿革史」甲第五四号証)

(七)この酒税の課税状況について今少し詳しく述べると次の通りである。

すなわち、昭和十三年に酒販免許制導入と共に支那事変特別税法により、酒類に対する物品税が庫出課税の方式で導入されたが(なお、昭和一五年には庫出課税方式による物品税は庫出課税による酒税として造石税方式とともに酒税の課税方式として併用され、さらに昭和一九年の改正で酒税は庫出課税方式に一本化された)、庫出課税方式の導入に対しては酒造業界の一部に強い反対があり、これらの反対論者は庫出課税度導入の見返り策として酒販免許制の導入を要求しており、政府は庫出課税を導入するために酒販免許制の導入をのまなければならなかったのである。「酒造組合中央会沿革史」(甲第三二号証)によれば次のようであった。

反対の急先鋒は長野県酒造組合連合会であり、そのいうところは、

「庫出税は水に税金をかけるにひとしい。盆暮れ勘定を即時改めてというが、地方においては農家の収入の在り方からいって、当面、そんな要求は理想論に過ぎない。庫出税を実施せんとするならば、まず小売販売の免許制を布き、その上にたって現金取り引きの習慣をつちかい、しかる後に実施せよ。しからざる限り庫出税の即時実施は、本場大手が弱小造家潰すのに役だつだけであり、資金の貧弱な地方の中小造家は、たちまちにして破産してしまうであろう」

として、庫出課税に強硬に抵抗した。長野県組合はその後も反対の態度を変えず、翌一二年五月の中央会第九回定期総会に議案として「酒類の庫出課税実施促進要望の件」が上程されるのを知り、これに先だって、全国八千余りの企業者から賛否のアンケートを求め、反対多数の回答書を携えて大会にのぞみ「庫出税反対」のアドバルンをあげた。こうした状況下に中央会幹部は勢いの赴くところ、流血の惨事にまで発展することをおそれ、警察官に場内の警戒を依頼したと伝えられる」というのである。

庫出課税方式導入に対する、このような強い反対に対する懐柔策として、政府は、酒造界の長い間の要望であった酒販免許制を導入することにしたのである。酒販免許制導入について、酒造組合中央会沿革史は、支那事変特別税法に関連して次のよに記述している。「ここに酒類にはじめて移出課税が行われることになったが、この際、酒造税の増徴によることなく、特に物品税としたのは、造石税の課税は酒の製造後しか税収が期待できないのに対し、移出課税である物品税にするときは、移出の翌月から税収が期待できるからであった。前年の酒造税石当たり五円増徴に引き続き、物品税五円の課税についた、酒造業界は内心不満の念を抱きながらも、戦時体制下やむを得ないことと報じた。なお、移出課税をとったため、政府は酒造税法中改正法律を公布して、業界が長年にわたって要望を続けてきた酒類販売免許制度を実施したことは、特筆大書に価するものといえよう。(添付資料「酒造組合中央会沿革史」甲第五四号証)

酒販免許制導入の真のねらいの一つが、庫出税導入反対論者に対する懐柔策であったことは前述のように、酒税滞納率が昭和一三年に何もあわてて酒販免許制を導入しなければならないような情況になかったこと、さらにいえば政府、課税庁自体がもともと酒販免許制は酒税確保にとって実益のないものと考えていたことも明らかである。後者については第七〇回・帝国議会で石綿政府委員長が「酒販免許制は酒造家が熱望しているからといってあまり効果のないものを実施してもどうであろかということで今日まで控えていた」(添付資料「酒造組合中央会沿革史」甲三二号証・一四四頁)と述べている事、及び当時の大蔵省もつぎのとおり酒造業者の売掛代金の回収は消費者の経済状態にかかっていると判断していた事からも明らである。

「酒類製造業者ハ販売免許制度ノ実施ニ依リ売掛代金ノ回収難ヲ緩和シ得べシト雖モ販売業者ノ良否ハ主トシテ消費者ノ経済状態ニ基因スルモノナルヲ以テ単ニ販売業者ノミニ対シ厳重ナル取締リヲ為スモ所期ノ目的ハ到底之ヲ達成シ得ザルベキコト」

(「酒類販売免許制採用ノ可否」昭和一〇年二月八日)

(八)そして、政府、課税庁がこのような酒税確保上実益がないと考えている酒販免許制を導入したのは、前述のような諸事実に加えて、免許制による酒販業者に対する政府の監督強化という当時の統制経済の考え方とも合致したからである。当時の価格取締の動向は次のとおりである。

「日華事変勃発直後の昭和一二年八月、政府は「暴利取締令」を改正し、売惜み、買占めおよび暴利行為自体を取締まることとして、主に民間の自主的価格統制を推進していたのだが、根強い物価の上昇は抑制すべくもなかった。そこで政府は昭和一三年七月にいたり、戦時統制立法のはしりともいわれる「輸出入品等臨時措置法」(昭和一二年法律第九二号)にもとづく命令により、「物品販売価格取締規則」(昭和一三年商工省第五六号)を交付施行し、販売価格の最高限度を政府が決定する制度を一般化する体制をととのえた。

すなわち、価格の騰貴が一部の商品にとどまっている間は別として、これがかなり広い範囲に及んできた段階では、そのつど、前述の「臨時措置法」にもとづく省令をだすのはわずらわしいので、この「物品販売価格取締規制」により、いかなる商品に対しても、政府は告示一本で最高販売価格を設定し得ることとしたのである。この法令は、当時の全般的な、しかも持続的な物価騰貴の過程で一般的統制価格を基礎づける重要なものであり、「国家総動員法」にもとづく「価格等統制令」(昭和一四年勅令第七〇三号、同年一〇月二〇日施行)にいたるまでの物価統制の根幹を制してきた。また政府は物価行政の監督機関として、昭和一三年八月、経済警察制度(警察内に経済保安課を設置)を設けた。(添付資料「麒麟麦酒の歴史戦後編」甲第三三号証・四〇四~五頁)

右のような価格統制を実効あらしめるためには、酒販店を免許制にすることによって、統制することがきわめて好都合であり、このような理由からも免許制は導入されたのである。

ところで、酒造業界にとって酒販免許制が懐柔策となったのは、酒販免許制の下に酒販業者をまとめアウトサイダーをなくせば、酒造業界が価格協定によって清酒の最低価格を定め、それ以下では酒販業者に販売させないということが容易となり酒造業界の利潤獲得に極めて好都合であったからでもある(この酒造業界による価格統制は現在においても酒販免許制によって強固に維持されている)。このことは酒造組合は昭和一一年頃から各地の組合で自主的に価格統制を行い、さらに昭和一二年には酒造組合法が改正され「組合員の営業に関する統制」も可能とされたことから、公然と価格統制がなされはじめそれに関連して中央会では昭和一二年九月九日の会合で「販売免許の統制」が決議され、免許制度をてこに販売者をすべて組合員にし、販売統制に服せしむべきことが要請されていたことからも明らかである。

(九)以上述べた酒販免許制が導入された前後の、時代的背景をみるならば、酒販免許制がなくなれば昭和一三年以前の状況が再現するということが、全くの杞憂にすぎないことが明確となる筈であるし、又、それと比較した我が国の戦後の経済の発展及び現在の社会経済の状況を考えるならば、酒販免許制の合憲性を支える立法事実もまた、存在しないことが自ら明らかとなる筈である。世界経済の一体性が進む中で、昭和初期の如き大恐慌が再来するとはとうてい考え難いし、又、そのようないつ起こるとも知れない大恐慌に怯えて酒販免許制を布き、国民の基本人権を制限するということには、何らの合理性も見出し得ないものである。従って、原判決は全くの架空の絵空事に依拠して酒販免許制の合憲性を認めているにすぎない。

三、酒税確保に役立っているか

酒販免許制の導入当初の真の目的が酒税確保の目的でなかったことは前述のとおりであるが、それでは酒販免許制は実際問題として、酒税の確保に役立っているのか、どうか。この点について、原判決は、酒販免許制が酒税の確保に役立っているかの如く判断をしている。

しかしながら、所得税、相続税等の直接税と比較して、間接税である酒税の滞納率の低さを、販売免許制の正当性の論拠とするのは論外である。間接税はもともと、直接税と比較すると滞納率が極めて低いのであって、酒販免許制によって滞納率が低くなっていることの証明には全くならないからである。また、酒税が酒税以外の間接税と比較しても低いことは認められというが、これも誤りである。間接税の一つである砂糖消費税の滞納率は酒税の滞納率よりも明らかに低いのである。(全国統一資料としては、国税庁が砂糖消費税の滞納率をその他の税の滞納率の区分の中へ入れてしまっているため、砂糖消費税プロパーの滞納率は明らかではないが、名古屋国税局管内の昭和六〇年度の砂糖消費税の滞納率は酒税の滞納率より遥かに低くなっている)すなわち、物品税には大別して第一種物品と第二種物品とがあり、前者はいわゆる小売店が納税義務者であり、後者は製造者が納税義務者である。したがって、仮に酒税の滞納率と比較するならば、酒税と同じ製造者が納税義務者の第二種物品税と比較しなければならない。

国税庁は物品税の滞納率を第一種と第二種との分けて公表していないので、正確には分からないが(恐らくあるに違いないが)、物品税の大半は第一種なので、第二種は極めて低い滞納率というのが間接税担当者の常識でもあから、物品税第二種の滞納率は酒税よりも低いことは確実である。

したがって酒税が物品税より滞納率が低いということは言えない。

なお、酒税の滞納率が一般に低いのは、酒税法が製造免許制度を採用し、製造者自身を手厚く保護しているからである。したがって、酒税の滞納率が一般的に低いのは製造免許制の効果であって、酒販免許制によるものではない。このことは酒販免許制を導入する以前から、酒税の滞納率(〇・一〇八%)が低かったことからも立証される。逆に、免許制導入後の昭和二五年には、皮肉にも酒税の滞納率が過去最高の一〇・三%にもなり、ここでも酒販免許制が事実上滞納防止に役立ってうないことを自ら証明している。以上のとおりであるから、酒販免許制が酒税の確保に役立つという判断は何ら根拠のないものと云わなければならない。

或いはまた一方で、酒税が租税収入の中で重要な地位を占めていること、酒税の税率の高いこと、および、販売場当たりの年間酒税額負担が大きいこと等をもって酒販免許制の合理性の論拠にしようとしているが、これも失当である。

何故ならば、酒税は明治二三年から昭和一〇年まで、酒税のシエアーは二〇%を越えていたが、現在は三・一%に過ぎなくなってしまっているからである。小売業者に免許制がとられていないガソリンスタンドが担う石油税(揮発油税・石油ガス税・地方道路税)は酒税を上回って三・五%にもなっている。

加えて消費税の租税収入に占める割合は酒税の凡そ二倍にも達しているが免許制はとられていない。

税率について云えば、揮発油税は小売価格の役五五%に達しており、たばこ税に至っては六五%が税金であるが、何れも免許制ではない。酒税の税率の高いものは一部の巨大メーカーの製品であるが、ワインや焼酎のように、消費税並みに極めて低いものもある。

次に一場当たり年間税額の大きさから云えば、免許制のとられていないガソリンスタンドが揮発油税について酒販業者の酒税と比較すれば、約三倍の販売場当たりの年間税額を転嫁されているという事実を知らなければならない。

また平成四年度の納められた酒税は約二億円弱であるが、この中、キリンとサントリーの二者で約一兆円弱が納付されているのが実情である。税率の高いビー ル・ウイスキー等は巨大企業で納められる酒税は実に八五%以上を占め、それ に清酒の大手数十者を加えれば九六%以上にも達するという勢いである。

このように現在では、酒販店にまったく関係なく、仮にあったとしても最も遠い位置にいる、酒類製造者が酒税のほとんどを、確実に納付される仕組みになっているのである。したがって販売場当たりの年間税額が大きいことは、合憲性を理由づける根拠とはなり得ないのである。

以上、酒税の確保という理由が酒販免許制の理由にならないことは明らかであるが、これは次のとおり酒造業者も認めているとおりである。

「第二次臨調答申が免許問題に触れないということであれば、それ程大きな問題にも発展しないと思われるが、既に小売業界にとって免許制を堅持してゆく理由として、とりあげてきた酒税確保にしても、ビール・ウイスキーという巨 大企業群が一兆八千三百億円のうち八一・三%の多い額を極めてスムースに国 に納付するという形がつくりあげられ、さらに他酒類の大企業、特に清酒 でも上位企業数十社が納付する酒税額を加えると、メーカーに任しておくだけで九〇%以上の酒税が確保されるという状況にかわっている。経済が不安定な時代は酒税確保のため小売段階にまで協力体制を確立しておかねばならないが、今日では滞納はめずらしい。数社に任しておけば、酒税一兆五千億円の確保がスムースにゆくという姿が確立されているため、販売免許を堅持するといっても順次別の理由を求めていくことが必要になっている。酒の特性が打ち出されたのも別の理由を求める一つの方策といわれるが、酒の特性についても酒類小売業者だけが納得したというだけでは価値がない。第三者の理解と協力を求めない限り、この価値も高まってこないので、今後免許制度を堅持してゆくための理由づけを、しっかり、確立してゆくことが必要となっている。酒税の確保といっても中小零細企業が多い清酒が酒類全体の出荷数量の四〇%~五〇%、酒税額でも数十%を占めていた時代で、ビール・ウイスキー類の酒税収入割合が極めて低かった昭和三〇年代前半までは、酒税確保酒税確保が免許堅持の大きな理由づけの役割を果たしていたと思われるが、最近のように大企業のビール・ウイスキーの数社に任しておけば、一兆八千三百億円のうち八一%の一兆五千億円以上が確保されるという時代にかわってくると、酒税確保は国としては必要であっても、果たしてそれを理由に販売免許制度までを守るという点に結びつけてゆくことが出来るかどうかという心配をもっておかねばならない。そのため、酒税確保と平行して打ち出している酒の特性が、果たして第二臨調の委員さん方の同意を求められるかどうか、また、第三者の理解を求めることが出来るかどうか、その辺の問題についてのこれからの小売業界の取り組み方が極めて重要な要素となってくるのではないかとみられる。

いずれにしても免許制度を堅持してゆくうえで大きな柱となってきた酒税確保、酒の特性という理由にも弱い面が台頭しているだけに、あとは小売業界全体の政治力がそれをどこまでカバーするかということが免許制度堅持のうえにおける大きな問題になりつつある。」

と書いてある。(醸界新報・昭和五六年六月一一日・甲第三六号証)

このように酒造業界自身が困難性を認めている酒税確保のためという理由づけを何故に原判決が合憲性の大きな柱にしなければならなかのか。それは原判決が社会的事実に関する認識の甘さを端的に示しているといわなければならない。

四、保健衛生に役立っているか。

かつての合憲判決の中には、酒類に致酔飲料性に着目して次のように述べたものもある。

「右のような免許制を採用した結果、致酔飲料としての酒類の販売に対する規制が加えられ、飲酒運転および飲酒による交通事故の防止、アルコール中毒患者の発生・増加の防止ならびに未成年の飲酒の禁酒等社会秩序の維持、国民保健衛生の確保に寄与するところがあることも、当裁判所に顕著な事実である」(東京地裁昭和五九年七月一九日判決)

しかしながら、酒販免許制が右判決のような「飲酒運転に交通事故の防止、アルコール中毒の発生・増加、未成年者の飲酒の禁止」に寄与しているという事実はまったくない。

何故なら、運転免許を受けた者が酒屋へ買いに来た者に、飲酒運転をする虞れがあるかどうか、その購入者にどれだけの数量を販売することが適当か、購入に来た者が未成年者である場合にその者自信が飲酒するおそれがあるかなどに注意して販売しているという事実はなく、またその術もないからである。

却って、酒販免許を受けた業者が社会秩序の維持、国民保健衛生の確保に何ら配慮することなく売れさえすればよいという儲け主義に走っていることは次のような酒販業者自身の一文からも明らかである。

「ところが、私の目に映る酒販店の現状は、それこそ「酒の特性論」もなにもあったものではない。その一番気がかりなのは、自動販売機による酒類の無差別、無人、無責任販売である。店さきの半分以上に、あの鉄の箱をズラリと並べたバリケード商いは「酒の特性論」がいう気狂い水を売る方法としては、あまりにも無責任すぎるのではないか。こんな売り方をしていたのでは、それこそ中学生でも、運転中の男でも、もうこれ以上は飲ませてはいけない泥酔者でも、勝手気ままに買うことが出来てしまう。こんな地域社会に迷惑を及ぼすような酒の無責任販売をしていては「酒の特性論」をふりかざす資格は全くない。この点は、アメリカの酒販店が自動販売機ををまったく置くことなく、すべて対面責任販売している実情をぜひ学びたいものである」

(添付資料「酒販店経営」甲第三七号証・二四八~九頁)。

昭和六〇年七月に厚生省の研究班が推計とした処によれば、日本人の少なくとも二二〇万人がアルコール中毒にかかつており欧米諸国並みに患者が増えているとする調査結果をまとめた。これ自体前記裁判所のいう顕著な事実に全く反するものであるが、同研究班の河野裕明班長は次のように述べていることが報告されている。

米国では患者は約一千万人と推計されているが、人口比やアルコール消費量などからなどからみて日本も欧米先進国並みになっていることが、わかった。治療態勢はもちろんだが、問題は酒類販売の方法だ。未成年者も自由に買える街頭の自動販販機がこんなにたくさんあるのは日本ぐらい。こうした環境から改善していくべきいくべきだ。」(添付資料「毎日新聞一九八五年七月二二日・甲第三八号証・夕刊)

また、民間のアルコール問題に関する団体であるアルコール問題全国市民協会は、一九八五年八月一日発行の「首都圏一六一七人中・高校生に聞く「飲酒の実態」アルコール問題レポート2(甲第三九号証)において中・高校生の飲酒問題を調査した結果として、考察と提言を行っているが、酒販店に関する箇所を引用すれば次のとおりである。

(考察)

今回の調査によれば、中・高校生の生活に「飲酒」がいかに浸透していたのかが明らかになった。いったい、何がこの事態を引き起こしたのか。彼等の姿はそのまま日本社会の大人達の姿を映し出しているように思えてならない。

イ、自動販売機、スーパー等で青少年が気軽に入手できること、

ロ、未成年者の飲酒禁酒が形だけのもので、青少年に酒類を売る店や飲食店が多いこと。親がすすんで酒に親しむ手ほどきをしてしまっていること。等があげられると思う。

(提言)

そこで私たちは、「青少年のアルコール問題」を予防し解決していくために行政機関に対して、次のように提言したい。

ハ、酒類メーカーにたいして、青少年の飲酒を誘因するおそれのある容器(清涼飲料水とまぎらわしいもの、動物等のキヤラクターや奇抜な形を用いたものなど)の使用は慎むよう、厳重に指導すること。また、同じようなキヤラクターや一〇代に人気のアイドルタレントを使った広告宣伝活動、および同様の景品による販売促進活動も自粛するよう、厳しく指導すること。

ニ、青少年が酒類を買うのを容易にしている。現在の酒販体制を根本的に見直し世界に類を見ない酒類の自動販売機をなくするように努めること。

ホ、青少年に飲酒を許す飲食店、酒販売店の取り締まりを強めること。

最後に、青少年の飲酒問題について、私たちの運動がやっていくことをのべる。(甲第三九号証)

ヘ、無責任なメーカーや酒屋、飲食店などに抗議すること

以上のとおりであり、酒販免許制が前記東京地裁判決のいうような社会秩序の維持や国民保険衛生の確保に何ら寄与していないことは明らかである。なお、現行の酒販免許制を酒の致酔飲料としての特性から理由づけることは理論的にもできないはずである。

なぜなら、致酔飲料としての酒の特性に基づいて免許制度を採用するというならば、何よりもまず酒を直接飲料として提供する飲食店等を免許制にしなければならないからである。それを全く放置しておいて、販売店のみを致酔飲料としての酒の特性を理由に免許制度の下におくのは全く合理性がないからである。何よりも裁判所が念頭においておかなければならないことは、いわゆる酒の特性論がでてきたのは、酒税確保を酒販免許制の理由に出来ないということを認めざるを得なくなった事態に直面した酒造業界及び酒販業界が新に求めた理由が酒の特性論であったということである。以下にその業界側の新聞の中で「酒販免許をとりまく環境、年ごとにゆれ動く」という題の下に書かれた記事の抜粋である。

「経済が不安定な時代は酒税確保のため小売段階にまで協力体制を確立しておかなければならないが、今日では滞納は珍しい。数社に任しておけば酒税一兆五千億円の確保がスムースにゆくという姿が確立されているため、販売免許を堅持するといっても順次別の理由を求めていくことが必要になっている。酒の特性が打ち出されたのも別の理由を求める一つの方策といわれるが、酒の特性についても、酒類小売業者だけが納得したというだけでは価値がない。第三者の理解と協力を求めない限り、この価値も高まってこないので、今後免許制度を堅持してゆくための理由づけをしっかり確立していくことが必要となっている。

これからの小売業界としては酒類の消費構造の変化とか酒税の納付についての種類別、企業別の大きな変化がジワジワ免許制度の堅持を訴えてきた理由を再検討させたり、新しい理由を次から次へと求めさせるという新しい問題を投げかけてくる公算の強いことを考え、その上で政治、行政の協力を求めるという動をとらねば、唯単に何十年も前の酒税確保とか、新しく打ち出した酒の特性だけにとらわれていると、みずからの判断とか先取りの不足で免許制度が常にゆすぶられるという心配がつきまとってゆこう」(添付資料・甲第三六号証「醸界新報昭和五六・六・一一」)

五、LRAについて

合憲性判断の基準として、立法府の広範な裁量権と免許制以外のよりゆるやかな規制の有効性との両者の視点をふまえて、立法府のとった裁量的措置である酒販免許制が、その内容をも含めて、凡そ基本的人権の一である職業選択の自由に対する重すぎる規制であるということができるときは、立法府の広範な裁量権にもかかわらず、その合理的範囲を逸脱したものとして右の規制措置を違憲無効とすべく、そうでなければ、これを合憲とすべきなのであるというべきである。

そして、この判断基準を前提とし、酒販免許制以外のよりゆるやかな規制措置について検討している。

酒販免許制に関する従来の下級審判決と異なり、一歩進めて合憲性判断の基準として「よりゆるやかな規制の有効性」を取り入れたて論議する。

然しながら、被上告人の主張する、よりゆるやかな規制の検討をする前提たる解釈に誤りがある。

即ち、厳格な規制にしろ、よりゆるやかな規制にしろ、いずれにしても、その規制目的は酒税保全という点にあるのであるが、酒販業者に対する規制を検討する場合には、酒販業者はそもそも保全の目的たる酒税の納税義務者でないことを大前提にしなければならない。

仮に酒税保全の規制が憲法上何らかの形で許されるとしても、直接の納税義務者である酒造業者と、納税義務者でない酒販業者とでは、憲法上許容される規制の程度は当然に異なる筈である。納税義務者でない酒販業者に対する規制はたとえより緩やかな規制であっても、それが必要最小限度のものでなければならない。

より緩やかな規制を検討するに当たって右の区分をしないまま、恰も酒販業者が納税義務者であるかの如き前提で判断した誤りは否定できない。

酒販免許制以外のよりゆるやかな規制にについて

(一)納税義務者である酒造業者に対する免許制で足りるか、の判断について

酒造業者に対する酒税法上の規制を上げ、これらに規制によって酒税の保全にかなりの程度実効を上げ得るとことできるとしながらも

「しかしながら、酒類製造者の肝心の納税資金は、前述の如く酒類販売業が消費者が消費者からの販売代金を酒類製造業者へ還流することにまつことを不可欠とするから、酒類製造者だけの右各法規制によっては、酒税保全上十分でないとされてもやむをえないところである」

と、いう。然し、右その判断は次のとおり誤りである。

(二)第一に、酒類製造業者の納税資金が消費者から酒販業者へ酒販業者から酒造業者へという還流を「不可欠とする」旨の判断は酒税法の解釈を誤つたものである。

酒税は消費者からの代金回収をまって納税義務者たる酒造メーカーが納税義務を履行するという法的仕組みを採用していない。原判決は、間接税=転嫁という一般的議論を法的仕組みの中に取り入れて議論しているが、転嫁の問題は事実上の問題にすぎず、法律上転嫁が義務づけられているわけではない。即ち、酒造業者の段階で納税された酒税を酒販業者に対する販売代金中に含ませるか否かについては酒税法は何ら規定しておらず、全く酒造業者の任意の意思に委ねられているのである。

酒造業者が納税した酒税を全額販売代金中に含ませるか、あるいは一部をふくませるか、はたまた全く含ませないかは自由である。同様にして、酒販業者が酒造業者に支払った仕入代金中には、酒税が全額含まれているからといって、それを消費者に対する小売代金中に含ませるか否か、いくら含ませるかは、酒税法上の義務ではなく任意の意思に委ねられている。

もし、消費者からの還流による酒税の確保を目的とするならば、酒税法は、酒税の転嫁について明確に義務としての規定をふさなければならない。

従って、酒税法上何ら規定のない事項について、「還流」が「不可欠」であるとして、あたかもそれが酒税法上の要件であるかの如き前提に立って、各種法規制が十分か十分でないか判断するのは酒税法の解釈を誤っている。

(三)第二に、酒税業者だけの各種法規制によっては酒税保全上十分でない旨の判断は誤りである。

即ち、租税徴収のため製造業者に免許制を設けること自体が職業選択の自由に対する厳しい規制であるうえ、これに更に各種の義務を課しているのであるから、納税義務者に対する義務としては異例中の異例といえる厳しい規制である。これ自体が憲法違反の疑いさえ抱かせるものである。

右義務の中には担保提供又は酒類の保存義務まで規定されており、酒造業者が酒税を滞納した場合にはこれからの徴収が可能になっている。

社会通念上、ある債権の回収の確保のための措置としては、右酒税法の如き規制はまず万全の体制と言うことができる。

結局、原判決が右各種規制によってもまだ不十分であるとする理由は、酒販業者が酒造業者への代金支払いを怠った時には、酒造業者の納税が困難になるということに帰するのである。

然しながら、世界大恐慌の如く、よほど極端な経済的大変動でもない限り、酒販業者がそれ程多数倒産したり支払不能に陥ったりすることは社会通念上ありえよう筈がない。

ある製造会社を例にとって考えた場合、その得意先の販売会社の例え一割でも倒産あるいは支払不能になってしまうような製造会社がいつたいどれだけあるであろうか。

また、そもそも酒類製造会社自身が、自己と取引をする相手を選択するに当って相手の信用度をチエックし、取引額をその信用度に応じて調整するなどして、最悪の場合に自己にふりかかる危険を最少限に止める努力を尽くしていることは公知の事実である。いたずらに自己の経営の悪化を招来する事態を座して待つ経営者はいないのである。

逆に、販売業者自身も同様にして、自己の経営の維持のために消費者からの代金の回収と仕入代金の納入に努力を傾注するのであるから、これら相互の企業維持の努力によって、製造業者の代金回収は保全されているのである。

従って、酒造業者が、専ら酒販業者側の事情によって酒税の納税をなし得ない状態に陥るという事態は、極めてまれにしか起こり得ないのである。

勿論、酒造業者自身の経営政策の失敗などにより酒造業者が支払不能に陥ることはある得るが、これとてまれな事態であり、しかもこれは酒造業者に対する規制の問題である。

要するに、酒造業者の酒税納入資金の確保に関して、

1、酒販業者の仕入代金滞納額の増加

2、支払不能に陥る酒販業者の増加

3、これによる酒税納入資金の不足、酒税の滞納

という事態を、何ら合理的な根拠もなく想定するのは、経験則に反するものであり誤りである。

従って、納税義務者たる酒造業者に対する各種規制では「不十分」であるというのは、その前提として、想定した事実に経験則違背があり誤りである戸、云わねばならない。

(四)第三に、酒税の納期限が極めて短期間に定められており、酒類製造者の資産、信用等の変化による影響をうけないように配慮されている上に、現在の酒造業界にあっては、ビール及びウイスキーについては少数の大手製造業者により、また、清酒の特級、一級については、その大半が大手製造業者によってそれぞれ供給されているとか、今日では、酒類小売店は現金取引が一般化し、小売店の製造者や卸店への支払期限も平均一か月になっているとかということ、更には、遡って自由経済市場における自然淘汰ないし自浄の機能などを挙げて、酒税保全上酒販免許制の今日的必要性のないことを論じても、酒販免許制の存在しないことによって起り得べき事態について思いめぐらすとき、果たしてしかくそれでよいかどうか、疑問であるというのでは、未だ前提の帰結を左右するには至らないといわなければならない等という。

然し、納税義務者たる酒造業者に対する免許制ほかの各種規制に加えて、右の主張の如き事情が存すれば、これによって、酒税の保全は極めて万全に近い体制になるであろう。

右のような各事情が酒税保存上どのような効果をもたらしているのか、具体的な検討を全く怠ったまま、前述のような酒販免許制の存在しないことによって起こりうべき結果だけを心配しても意味がない。

「酒販免許制の存在しないことによって起こりうべき事態」とは具体的にはいかなる事態か。酒販業者の乱立による酒販業者の倒産等で仕入代金の納入が不能になる事態を言うのであろうか。然し、かかる想定自体が前記の如く、経験則に違背する空論である。乱立、乱売による倒産酒販業者の続出などというのは空想に過ぎないのである。

仮に百歩譲って、右の想定に多少の根拠があるにしても、かかる事態が発生してもなお、前記認定の諸事情を勘案すれば、他業種に比べて酒税の保全に相当な影響をもたらすような、酒税滞納の続出と滞納額の大幅増大という事態は発生し得ない状態に手厚く監視されている。

場合によって、酒税納付に困難を生ずる酒造業者が出たとしても、それは、ごくまれ、ごく例外的な事例である。

したがって、酒税滞納の危惧の判示は具体的根拠のない経験則違背の事態を想定した上に、酒造業者が酒販業者の営業の浮沈に、その都度影響を受けることのないような、社会的諸事情との相対的な関係をまったく無視した具体的検討をしないまま憂慮したものであって、著しく審理不尽であり、かつ理由不備である。

(五)酒造業者に対する免許制およびその他の各種規制の外、酒販業者に対する免許制以外の規制によっては十分ではないのかについて

(1)納税者でない酒販業者についても、納税者である酒造業者と、ほぼ同じ各種規制が存在することを認めながら、次のような議論がある。

各種義務の履行を確実ならしめるには、相応の監視・監督する人員が必要になるのではないか。酒販免許制の撤廃により増加するであろう販売業者の監督を十全ならしめる、その要員・経費増等に鑑みて事実上不可能を強いることになるのではないかという虞れも払拭しきれないでいる。それは仮に届け出制に依ったにしても事情は大して変わらないだろうから、畢竟、実現性からみて現状の酒販免許制が一番いいよいうことになってしまう。しかし、それは誤りである。

(2)第一に、酒販業者に対する右判断は各種規制の法的効果に関する判断を怠った誤りがある。

すなわち、納税義務者でもない酒販業者に対し、酒税保全の目的から酒税法は各種規制を設けたのであるが、これに対する合憲性の判断基準たる「よりゆるやかな規制で足りるか、どうか」の判断に当たっては、少なくとも各種規制の立法趣旨、その規制の態様・法的効果等について、個別に検討し、酒税保全目的にいかなる効果を上げるかを明らかにしなければならない。その上で更に、それらの各種規制が総合された場合に、酒税保全上いかなる効果を上げ得るのかを明らかにしなければならない。

それらの個別的・総合的法的効果ないしは法的機能の検討の上で「足りるか、否か」を判断しなければならない筈である。

それもしないで人員と経費が増大したら何にもならないと判断したとしたら大きな間違いである。

「人員と経費」の問題はむろん法的価値判断の枠外の問題である。われわれが今論議しているのは酒販業者に対する各種規制の憲法的視点から問題にしているのである。それ故にこそ、前記の如く、個別的な、総合的法的評価を必要としているのである。

(3)第二に、「要員と経費」に問題をすり替えてはいけない。確かに酒販免許制の撤廃により酒販業者は増加するであろう。それによると事務量の増加に対応する要員の増加も必要であろう。

しかし、酒販業者の増加といっても、社会経済上一定の限度があり、無制限に増加するわけではない。それは他の職業全般をみれば分かる筈である。酒販業だけが、他業種に比して著しく倒産業者が多くなるということは経験上あり得ないことである。したがって、徴税事務量が一定程度増加することはあっても、増員その他の行政上の対応は十分なし得るものである。

(4)第三に、行政事務量の増加を防止するために憲法上の基本的権利を制約してはならないということである。

もし、行政事務量を基本権制約の理由とし得るならば、およそ、あらゆる基本権は行政政策の前に脱帽しなければならなくなる。

それは基本的人権の死滅を意味する。したがってこれを理由にするなら、基本権保障の意義をまったく理解していない、本末転倒であり、法解釈を誤ったものと云わなくてはならない。

(5)以上のとおり原判決の酒販業者に対する免許以外の規制に関する判断には大きな誤りがある。

(六)、酒税法以外の施策、「酒税の保全および酒類業組合等に関する法律」(以下酒団法という)による酒税の保全措置について

(1)酒団法における組合員たる資格を有する酒販業者は酒税法によって免許を受けた者に限られるから、これによって法的措置も酒販免許制に依拠し、その上にたって有効な施策を講じたに過ぎないと被上告人は主張するかもしれない。しかし、それは誤りである。

(2)第一に「より緩やかな規制」としての法的価値判断を誤ったものである。すなわち、酒団法による規制で「足りるか、否か」の憲法的価値判断をなすのであるから、少なくとも酒団法による各種規制と酒税保全目的との相関関係を明らかにすべきであるにも拘わらず、現行酒団法が組合員資格を酒販免許資格に限定していることのみを上げて、免許がなければ意味がないようにいうが、それは各種規制の検討をまったくしていない。

確かに、現行酒団法は組合員資格を免許業者に限定している。しかしこれは、たまたま、免許業者以外には酒販業者がいなかったという歴史的経緯があったから現行法の仕組みになっただけであって、免許制は酒団法の規制内容に論理的必然的に前提となるものではない。

例えば、酒団法による酒税保全措置の代表的なものとして、いわゆる不況カルテル(同法四二条五号)合理化カルテル(同法四二条六号)の規制内容をみてみると、これらは、免許制の有無に拘わらず、法的効果を発揮し得るものであることは明らかである。

また、酒税保全のための、大蔵大臣の勧告(同法八四条一項)同じく未加入業者(アウトサイダー)への命令(同法八四条三項)もいずれも免許制の有無に拘わらずになし得る規制である。したがって酒団法による規制は免許に依らずに発動でき、酒税の保全はここでも完璧である。

(3)第二に、酒団法による規制内容を以てすれば、酒販業者に対する酒税保全措置は万全である。すなわち納税義務者でもない酒販業者に対してまで、免許制をとつ最大の根拠は、酒販業者の乱立乱売による倒産の続出、仕入れ代金の支払不能、ひいては酒造業者の酒税滞納という事態の発生を防止しようとすることに尽きる。

要するに、酒販業界における酒の円滑な取引を通じて酒販業者の経営の安定を図ろうとする事に主眼がある。

ところで、酒団法の前記不況カルテルはまさに「酒類の販売の競争が正常の程度を越えて行われたことにより、酒類の円滑な運行が阻害され、酒販業者の経営が不健全となっており、またはなる虞れがあるため、酒税の納付が困難となり、またはなる虞れがあると認められる場合」に、組合の自主規制により酒税納付を確実ならしめんとするものである。

しかも、このカルテルは組合の特別決議を経るだけでなく(同法三八条一項五号)、公正取引委員会の同意を得て(同法九四条一項)大蔵大臣が認可するもの(同法四三条一項)であるから、公的指導・監督の下になされる強力な規制である。また、前記大蔵大臣の勧告・命令も「酒類の販売の競争云々」と前記酒販免許維持の理由とまったく同一の規制である。しかも罰則(同法九六条一号)を背景とした極めて強力な規制なのである。

これらの酒団法の規制内容からすれば、納税義務者でない酒販業者に対する酒税保全目的の規制としては極めて厳格かつ有効な規制であって、このうえ免許制の必要はまったくないといわねばならない。

(七)酒販免許制以外の「よりゆるやかな規制」に関する総合的判断の欠落について

酒販免許制以外の酒税保全目的の規制は次のとおりである

1、酒造業者に対する免許制および各種規制

2、酒造業者・酒販業者に対する酒団法による規制

3、酒販業者に対する免許制以外の各種規制

これに加えて、酒造・酒販各業界の今日的変貌は、酒販免許導入時とは雲泥の差があり、社会経済も跡形もなく一変している。

原判決は、それらを各々他から切り離して単独に判断した誤りがある。

しかし酒税保全という目的からすれば、右の各種規制は総合的に影響し合っているのである。従って、酒販免許以外の前記各規制を判断するについても、総合的のその法的価値を判断して「充分か否か」を決定すべきであった。そこにも原審の重大な誤りを指摘しなければならない。

4、よって、酒販免許制以外のよりゆるやかな規制に関する規制に関する原審には、法令解釈の誤り、審理不尽、理由不備の誤りがある。

六、要件と内容

1、原審は酒販免許制は酒税の保全上、やむを得ない規制であり、むしろ、酒販免許制は酒類の販売代金の回収を確実にすることを通じて、酒造業者の経営を安定させ、酒税の安定的確保を図るものであり、相対的にみて酒税の転嫁を容易にするという効果を有していることは否めないというべきあるかのごとく云っている。

もちろん、表面上規制の合理性を肯定した上で、その要件ないし内容を吟味して、やむを得ない要件であるとする。

2、しかし、原審が総体的にみて酒税の転嫁を容認した認識判断が誤りであることは次の事実により指摘できる。

まず第一に、原判決は酒販免許制の立法目的が酒税保全であり、酒税確保に役だって来たと(何の根拠もなく)認定しているのであるから、各要件毎に当該要件が酒税確保上必要な要件か否かを検証すべきであるにも拘らず、全くその検討がなされていない(枕詞に「酒税の保全上」とつけば、何もかも酒税確保に必要な要件となるものではないのである)。

原判決の趣旨は、要するに酒税法第一〇条第一一号について「説示した酒税保全の上に占める酒類販売業者の重要性に鑑みて、違憲とは云えない」

とするが、酒税保全の上に酒販業者が占める役割が全く重要でないことは、これまで再三述べているとおりでありここでは再論しないが、一つだけ述べると、酒類の販売の実態は他の物品と同じく酒造業者から卸売業者(この中には一次卸、二次卸がある)へ、そして小売業者という流通経路をたどるのであり、酒造業者、卸売業者ともに自己の利益を酒類の販売により獲得しようとしているのであり、売り先が商品代金の回収が不能ないし困難な相手方かどうかという点については極めて重要な関心事であるため商取引それ自体の論理的帰結として売り先の信用調査をしたうえで販売をしている筈であり、何も酒販免許があるということで相手先を信用しているものではない。そして、代金回収の不安・危険性は、この信用調査と取引経路によって分散されているのである。

更には、納税義務者は酒造業者であることを併せ考えれば、酒類販売業者にいかほどの重要性があるというのか、資格を限定する理由がどこにあるのであろうか。

このような酒類販売の実態に着目すれば、要件として、いわゆる前科者等の犯罪歴を有する者とか滞納処分を受けた者とかと免許拒否の理由とするのはいかにも根拠は薄弱である。原判決は、犯罪歴を有する者や滞納処分を受けた者が、物(酒類)を買うのに当然に代金を払わない者の類型であるとでもいうのであろうか。

原判決の要件吟味の杜撰さはこれにとどまらず、「酒税確保」という観点からの検討は全くない。

次に、原判決も認める通り、酒税法一〇条各号の要件は、規定が概括的であり、かつ不明確なものが多く、行政庁の恣意的判断を大幅に許す結果となるもので、明白性の原則に反し違憲無効の規定である。如何に右要件が行政庁により恣意的に運用されているかは後に『酒販免許の恣意的運用の実態』において詳論するが、少なくとも原判決が通達をも引用して合憲解釈を展開せざるを得ないほど不明確な規定であることはどう言い逃れをしても免れようがない。

3 酒税の滞納率が低いこと(但し、滞納率を直接税と比較することの誤りは既に述べた。を酒販免許制によるものであり、酒税確保に役立ってきたとするが、まずもって右推論は何により立証されたというのであろうか。

後述するとおり、酒販免許が導入された当時の状況を見れば酒販免許制と酒税の確保ないし酒税滞納の現象とは全く因果関係がないものであり、戦後から現在に至るまで酒税の滞納率が低いのは、我が国経済が順調に発展して来た結果であって、そこには酒販免許制が寄与・貢献したものは何もない。

4 さらに、たばこの小売と酒の小売との違いを意図的に強調し、比較すべき対象とならないように云うが、しかし、酒の小売においても、たばこの小売においても、最も重要なことは、税負担の消費者への『転嫁』の確実性である。これについては昭和一三年ならいざしらず現在においてその決定的差異は見出し難い。

酒類販売免許制が導入された昭和初期の酒の販売取引形態は製造者と販売店の間では年二回、盆、暮決裁、小売店の消費者への販売も殆どが掛売であったが(酒造業者の売掛代金の回収が困難になった最大の原因は消費者への販売も掛売で、そのため不況になると消費者から酒代金を回収できず、酒販店の経営が行き詰まり酒造業者への支払ができなくなったのである。従って、転嫁の確実性との関連では消費者への販売が現金取引で行われるのが一般化するのは昭和三〇年代からである)、今日では小売店の製造業者や卸への支払期限は平均一月(短い場合一週間ぐらいのものから、長いもので四、五日ぐらい。この点は酒小売店からのヒヤリングによる)で、しかも毎月仕入れているので毎月支払をしている状態であり、その上消費者への販売は原則として現金取引になっているからである。従って、今日では小切手で仕入をする、たばこの小売店と実質的な差異はほとんどないといってよいであろう。わずか一月程度の支払期限の存在を免許制の根拠にし得るとは考え難いと云える。

5 以上の通り、原判決は酒販免許の合憲性を認めるに急なあまり、まことに安易に被上告人らの主張を鵜呑みにしており、その論旨は牽強附会にすぎるものと断ぜざるを得ない。

七 免許運用の恣意的実態

1、酒販免許制の要件ないし内容について、その規定の不明確さ不合理性は、既に述べたが、その要件の不明確性ゆえに業界と癒着した行政庁による免許付与の恣意的な運用がなされているのであり、それらは、数多くの事実によって立証できる。

酒販免許制の運用について「その規制措置の運用に当る行政庁たる税務当局の個々の処分が、過度に既存業者の既得の利益保護に傾き、新規参入を封殺する如き場合は、違憲性を帯びることを否定しえないことは言うまでもないといったところ、違憲性を帯びる種々の事実のごく一部ではあるが、以下概説する。

酒税法は、免許拒否事由について「申請者が破産者で復権を得ていない場合その他その経営の基礎が薄弱であると認められる場合」(一〇条一〇号)、「酒税の保全上酒類の需給の均衡を維持する必要があるため……免許を与えることがことが適当でないと認められる場合」(同一一号)、というように不明確な定め方をしているために、免許拒否について税務署長の裁量の入り込む余地が極めて大きくなっている(なお、右拒否事由に該当するか否かの具体的基準は「酒類販売業免許等取扱要領」(通達)で定められているが、同取扱要領は、需給調整上の要件に該当する場合であっても、「既存の酒類販売業者の経営実態または酒類の取引状況からみて、新たに免許を与えるときは、酒類の需給の均衡を破り、ひいては酒税の確保に支障を来すおそれがあると認められる場合は免許を与えないこと」と規定していたり、また、人的、場所的要件及び需給調整上の要件すべてを満たしていても、生協等には当分の間免許を与えないことも規定しており、税務署長の裁量的運用に委ねられている面がかなり強い。それも以下にみるとおり甚だ恣意的である。

2、これは次のような担当官の驚くべき発言からも明らかである。

すなわち、本年一月六日高松市で開かれた酒販組合から安売りするような業者に免許を出したとの批判に向豊・高松間接税部長は

「今のお話もっともと思う点は多々ある。ただ、免許そのものについては心得違いをされると困るのだが、われわれは六千台だと思うのだが通達基準でだせば一万一千ぐらいだせる。それをうちの方が押さえている。だから、年間二〇店位しか出していないだろう。そのためには殆ど通達基準にあってるものをもってくるのである。申請してくるわけである。これに対してできるかぎり押さえる、これで年間二〇店でおさまっているわけだ。興奮するのはわかるけれどうちの統括も必死でやっている。でなければそんな数字にならない。免許だって年間二〇店しかだしていないから、そのために一線の統括は苦労しているのである。さきほどのスーパーの話、私も心外だったんだけれども確かにスーパーそのものについては安売りの危険性があるので、うちの方でも調べてみる。それから京晴グループ関係、困った困ったでどうにもならないから局から職員を派遣して統括といっしょに面接しているのだ。それと、先ほどいったように簡単に免許取れないので、そうなる相手の言い分をききながら何とか妥協点を探して手をうってゆく、その方法で成功してるわけである。後は組合と協議してどこかで妥協点を作ってやっていこうと思っている。二枚鑑札の問題だが、どのみち実質仕入価格なんて違うから、資格がどうあろうと、だから一番大事なことは安く仕入られれば安く仕入れてもらって結構である。通常の価格で売ってもらえば。うちも、一歩踏みこんだ指導をやっていく。うちもやっているんだから。中村の件だが、きいているから行っているだろう。行っていなかったら早急に手を打とう。大体そんなところだ」

(『酒販ニュース昭和六〇年二月二一日号』甲第二二号証)

こうした驚くべき恣意的な運用により酒販売を希望している多くの者がこれまで泣かされてきている。また、このことは現行酒販免許制が実質的には既存業者の保護のみに傾いていることを意味し、業界と課税庁の癒着の著しさを物語っている。このことは国税庁酒税課長の次の一文からも明らかであろう。

「需要が低迷する中での酒販店経営は必ずしもうま味があるとは言えない状況にも拘らず、新規免許下付の要望は極めて多い。最近の需要動向等から、行政としても新規免許については慎重に対応しているところであるが、地域の業界としては新規参入には理屈なしに直ちに反対という反応が一般であり、一方では免許基準には一応パスしているというケースが多く、第一線の担当者日夜その処理に苦慮しているのが実情である。

(国税庁酒税課長の中島富雄年頭所感『酒類小売業界の課題』『酒販ニュース昭和六〇年一月一日号二二頁・甲第四〇号証)

また、業界自身、このことを次の通り明白に認めている。

「私たちは酒類小売り免許業者が、徴税代理業務を安定的に遂行できるようにと、国は私たちに一定限度の競争制限に関する恩典を与えてくれている。無制限な乱立による経営危機は、つまるところ徴税代理機能を弱めることに通じるとの理解に立ってのことだと思う。そして、わが、小売酒販組合中央会の首脳部は、久しい前から「免許の凍結」を政界筋などに対し働きかけている。競争制限力の後退に歯止めをかけようとの意図からのことである。既得権益を守り、われわれの窮状を救うわんとするその動きには、感謝のほかはない」

(添付書類 馬場貞男『酒販店の経営革新』甲第四一号証)。

3、更には、酒販免許制が実際には既存業者の既得利権を擁護するためにのみ恣意的に運用されていることを示し、顕著な例がある。

昭和四三年には、消費者団体が準備を進めていた清酒の安価購買運動に税務署が公文書をもって注意をするという事件が発生している。

この安価購買運動は横浜生活協同組合が考え出したものであるが、消費家庭が一〇世帯位づつまとめて、はがきで直接メーカーに発注し、メーカーが配達日を定めてトラック運送し、代金と引き替えに注文品を渡す仕組みであり、これにより卸し及び小売りマージンをはぶいて、消費者へ還元するというものであった。この方式に注目した全国消費者団体連絡会でこれを広めようと準備を始めたところ、この動きを知った足立税務署がいまだ計画すら立てていない生協も含めて公文書により「同様の行為をなすと罰せられるので絶対になさないように」との旨の通達をなしたため問題となった。全国小売酒販中央会は、この酒の安売り問題を同年一二月上旬に開いた臨時総会で取り上げ、「安売りがまかり通るのであれば免許制度の意味がなくなる」として、国税庁に十分に監視をなすよう申し入れることを決定している。

国税庁は、右中央会の意に添って「メーカーにも安くしないよう行政指導する。安価購買の方法が知れ渡るのは消費者に知恵をつけることになるので困る」として、酒の安価購買に待ったをかけたものである。

右消費者の安価購買運動は全く正当なものであったにもかかわらず、税務当局は酒販免許制に藉口して運動を圧殺した。右は業界の利益擁護のみを図り消費者の正当な権利を全く踏みにじった行為である。

(添付書類『読売新聞昭和四三年一二月八日』甲第九三号証の二)

昭和四五年四月、物価安定政策会議が「政府の行政介入が、かえって物価の上昇をもたらしている」と政府が物価や営業免許に介入すること控えるよう求めた提言をし、これを受けて物価対策閣僚協議会が同年一〇月には経済企画庁が酒の値段を引き下げるためにスーパー及び生活協同組合に酒販免許を与えて一般の小売店と競争させるように国税庁へ申し入れた。

しかしながらスーパー及び生活協同組合に対して酒販免許を与えるのをできる限りおさえるという国税庁の方針はその後も一向に改められず、現在もスーパー及び生活協同組合への免許付与は厳しく制限されている。しかも、国税庁は、スーパーに対して免許を与える場合には「安売りはしない」旨の念書をとっているのである。

このような国税庁は業界の意を受けて酒販免許制を既存業者の利益擁護(酒販売価格の高値安定)のみに利用し、消費者利益を全く無視しているのである。(添付書類『読売新聞昭和四六年一一月二二日夕刊・甲第五七号証、毎日新聞昭和四六年二月六日・甲第五六号証参照』)。

昭和五五年には、小売酒販組合中央会と国税庁が酒の安売りを規制するために、「特売」「特価セール」の宣伝文句を一切禁止する旨の公正競争規約とその施行規制を作るという事件が発生した。

右組合と国税庁は右の理由について酒害の防止をいうが、酒害を問題にするのであれば、メーカーによるCM洪水こそ問題にすべきであるところ、これをせずに安売りだけを問題にしており、これが業界と国税庁の共同歩調による安売り制限ための規制であることは明らかである、と朝日新聞昭和五五年二月二八日夕刊は報じている。

4、このような酒販免許制は既存業者の既得利益保護のために全く恣意的な運用となっている。このような恣意性は現行の酒販免許制自体に深く根ざしており、それ故、同制度自体が憲法二二条に反していると断ぜざるを得ないのである。

八 社会的動向を無視した審理不尽

酒販免許制の廃止を求める社会的な動きは、行政機関内部から経済界、消費者にいたるまで、長年に亘って積み重ねられており、今や、これの存続を叫ぶのはひとり酒販業界、国税庁のみとなった。残念ながら、酒販業界から政治献金を受けている国会酒販問題懇話会の百数十名の議員が右業界に同調し、これまでの下級審もそれに追認してきたのである。

然し、酒販免許制の廃止を求める動きは、学者の殆どが違憲論をとなえており、また、行政、経済界、消費者も含む社会の大勢となった。従って下級審の合憲判決は、業界に同調したばかりに社会の動向から浮きあがったものとなってしまっている。

以下に、その社会的動向について述べる。これらは、いずれも公知の事実をとりあげたものである。

A、行政機関における酒販免許運用基準の緩和ないしは酒販免許制の撤廃を求める動きについて

(一)、昭和三八年夏、大蔵省は小売免許の合理化を省議決定し、これに基づいて昭和三九年二月、国税庁は酒販免許の運用基準を緩和する新しい緩和基準を作成することにし、酒販業界にその内容を提示した、と、昭和三九年四月五日朝日新聞夕刊は報じている。

(二)、第一次臨時行政調査会では、酒販免許の合理性が厳しく問い直され、昭和三九年九月に示された同答申の「許認可の改革に関する意見・個別事項」では酒販免許について、次のように根本的な再検討が求められた。(添付資料・別冊・許認可等の改革に関する意見書参照・甲第四四号証)

1、酒販業の免許は、酒税の確保と流通秩序の維持のために必要とされてきたが、最近の酒類消費量の増加、販売区域の市街化等の現象によって、免許の実質的要件が緩和され、免許取得希望件数も増えている。しかし、依然として、現行の免許制度は、ややもすれば既存業者の保護に傾き、企業努力を怠らしめる傾向がみられる。これらの状況のもとでは、酒販業については、酒税の確保に最低限必要な規制の外は、なるべくこれを自由化する方向で、根本的に再検討すべきである。

2、期限付き免許についても、同じく免許にかかわらしめているが、運用の実態からみて、既存免許者が期限付き小売を行う場合には、届け出制に簡略化して差し支えないと認められる。

(三)さらに昭和四五年三月一九日、物価安定政策会議がまとめた「行政介入と物価についての提言では、酒販免許制が酒の小売価格に跳ね返っていることが指摘され、同制度の抜本的検討を要請しており、同年三月三〇日の最終提言では、酒販免許の不合理性がつぎのように簡潔に指摘されている。「酒類については酒税法に基づき酒税保全の見地から製造および販売過程について免許制がとられているが、とくに卸売、小売販売免許付与の運用については問題が多い。

例えば小売免許の要件として、資本、資産状況等の経営基準はもとより、店舗間の距離、世帯数の制限がある外、人的要件として酒類関係取扱上の経験年数、受給調整上の要件としては、販売免許後の販売見込み数量等を定める等、厳格な条件が課せられているから、小売酒販業の新規参入を困難ならしめ、自由競争を通じる合理化、近代化が妨げられて居る。

したがって、消費者の利益を、より考慮するためにも販売業に対する免許制度のあり方について抜本的検討を加えるとともに、当面は新規参入の促進のため、その運用の弾力化を推進すべきであろう」

と日経新聞は昭和四五年七月三日・行政介入と物価についてと題して報じている。

(四)昭和四五年六月九日、物価対策閣僚会議は、物価安定のため具体策のひとつとして「酒屋の新規開店のための条件をゆるめる」ことを決め、全国国税間税部長会議において酒販免許の基準を弾力的に運用して新規参入を促進する旨の指示を行うことを決定した、と昭和四五年六月一〇日付朝日新聞は報じている。

(五)しかし、国税庁の免許付与の実態は一向に改善されず、スーパー・マーケット、生協に対する免許は昭和四五年から四六年にはスーパー一四店、生協一〇店にしかすぎなかった。

そのため経済企画庁は昭和四六年一一月、国税庁各地方団体に対して、免許の許可を大幅の促進するよう要請することを決定した。(昭和四六年一一月二二日・読売新聞夕刊記事「安売りさせない国税庁?甲第五七号証)

(六)また、昭和五六年に発足した第二次臨調でも酒販免許制の不合理性が重要な検討課題となったが、業界および国会酒販問題懇話会の議員グループのすざましい圧力によって、実質的に形骸化されてしまった。それにも拘わらず規制緩和の方向で制度の見直しが最終的には指摘されている。

時を同じくして同年六月、最近における物価安定政策の中においても「免許制度のあるかたにつき抜本的再検討を加えるべきである」旨の指摘がなされたのである。

(七)さらに物価安定政策会議政策部会は、昭和六一年三月二八日「輸入品の流通および商慣行について」という報告において、我が国流通政策の合理化が図られていない要因の一つとして

「酒類等特定の商品については、販売について酒税法等により、免許許可制が採られており、免許等の交付が相対的に大規模小売店に少なくなっている」旨指摘した上で、今後の課題として、

「流通、販売にかかる各種規制制度については流通の近代化、経済の国際化等の経済社会の変化に伴う不断の見直しを行う」べきであるとしている。(添付資料「輸入品の流通および商慣行について・甲第六三号証・昭和六一年三月二八日・物価安定政策会議政策部会作成・および昭和六一年三月二九日付静岡新聞記事・甲第六三号証)

(八)さらに、酒税行政内部においても、昭和五七年当時、酒類行政の最高シンクタンクである中央酒類審議会会長でもあった泉美之松氏が酒販免許制を現行酒税法の元で維持することは無理であると認めていたことは甲第六二号証のとおりである。

B、経済界における酒販免許制の不合理性を指摘する動き

以上のごとく、行政機関自身が長年に亘って再三再四酒販免許制の不合理性を指摘しているのに加え、日本の経済界も挙げて、その不合理性を指摘するに至ったのである。

すなわち、日本の経済界を代表する団体である社団法人経済団体連合会は、昭和六二年二月二四日「洋酒の輸入円滑化に関する見解」を発表し、その中で酒販免許制について、

「われわれとしては、一次、二次の臨時行政調査会や物価安定政策会議、公正取引委員会等でしばしば指摘したように、規制緩和の大きな流れの中で酒販免許制についても、その簡素化ならびに運用の弾力化に実現をはかるべきであると考える」

旨指摘している。右、指摘は直接酒販免許制の廃止を記載したものではないが、その根底には、酒販免許制がが今日の洋酒取引経済の実状にそぐわない不合理なものであるという認識に立脚するものであることは明らかである。そもそも、日本の経済界の代表的団体から、公にこのような厳しい批判を受けること自体が異例であろう。(洋酒の輸入円滑化に関する見解、昭和六二年二月二四日社団法人経済団体連合会作成」、「昭和六二年三月三日付静岡新聞記事」・甲第六六号証)

C、消費者から酒販免許制廃止を求める動き

他方、消費者側からも酒販免許制の撤廃ないしは大幅緩和を求める動きは活発に行われている。

近年消費者運動はますます活発化してきている。マルチ商法、詐欺的商法の被害から消費者の権利を守る運動、有害物質を含有する食品・家庭洗剤など不良商品を摘発する運動、石油パニックによるチリ紙不足に対する供給確保の運動等、その種類、範囲、規模は非常に広がっており、いまや経済界にとって無視できない存在になっている。

そうした消費者運動の一つに安くて良質の酒を消費者に供給しようという運動があった。その消費者運動の中心的存在の一つが生活協同組合であり、安くてよい酒を消費者へのキャッチフレーズの元で、昭和四四年、これに酒造家として最初に参加したのが上告人代表者が経営していた東駒(後に東菱)酒造であった。

しかし、ここでも酒販免許制が障害となって、初期の目的を充分に達成することができなかった。生協ではメーカーからの協同購入方式、あるいは、はがき方式等、さまざまな苦労を重ねながら、消費者への供給を確保する運動を展開してきたのであった。(添付資料「昭和四三年一一月一六日付・読売新聞記事」甲第九三号の一)

こうした中で、酒販免許に対する消費者の批判は高まり、昭和五五年三月から四月にかけて、デモ行進が東京で企画され、国税庁に対して酒販免許撤廃を要求する運動にまで盛り上がった。(添付資料「昭和五六年一月二一日付朝日新聞」記事・甲第六四号証)

4、なお、このような社会的動向に不安を抱いていた全国小売酒販組合中央会は昭和五〇年に憲法・行政法学者七名からなる「免許制研究会」を設置し、酒販免許制の合憲性の検討を委嘱したが、同研究会は、昭和五四年に中間報告を提出し「酒税確保のみでは免許維持困難」との結論を答申している。自分たちで委嘱した研究グループからでさえ「酒税の保全」だけでは無理だとされてしまったのである。(そのために新たな理由づけとして、「酒の特性論」を持ち出すことになったのである)

九、酒販免許制と酒価操作

1、昭和一三年の酒販免許制導入当時において、既に酒造業界と酒販業界に独占的地位を獲得し、それを利用して価格協定等により、高利潤を追及するという狙いがあった訳であるが、この悪しき慣例はその後一貫して今日まで、酒造・酒販業界のバックボーンとなっている。

それは何よりも昭和三九年に酒価の統制が完全に撤廃されたにも拘わらず、今日まで、どこのメーカーの酒も小売価格が統一され、決して値崩れをしていないという客観的事実の中に雄弁に物語っている。

現在までに主な酒類の流通の状況としては三年に一度酒価が上げられ、その次の年には酒税の価格にしめる割合が低くなったとして酒税の値上げが行われる。

そうすると三年に二度の値上げが循環的に恒常的に行われるという、悪しき習慣となってしまった。これにより、酒造業者と酒販業者は髙い利潤を恣いままにし、消費者は髙い酒を買わされいることになる。

2、スーパーマーケットは、安売りということで発展してきた小売形態であるが、そのスーパーが唯一安売りしないものが酒である。スーパーマーケットの標準マージンは一五%と云われているが、酒の場合値引きリベートを含めると三〇%にもなり、モノによっては四〇%もあるという。

それなのに何故安売りしないのかといえば、一つは税務署が酒造業界と酒販業界とが一緒になって安売りさせないようにしている事、更に最も大事な理由はへたに安売りして税務署に睨まれると、次の免許が貰いないからである。

即ち全国にスーパーマーケットは八七〇〇店あるが、その内一六五〇店にしか免許を持っていないのが実状なのである。その子会社であるコンビニに至っては四万五千以上もありながら一五%にも満たない程しか免許を持っていないのである。そのため、残りのスーパー店、コンビニ店に是非とも酒販免許の取得を望んでおり、今ここで安売りして免許が貰われなくなることが恐ろしいから安売りしないのである。

税務署は安売りしないデパートには無条件で免許を出すのに、安売りする可能性のあるスーパーには免許を出さず、既に酒販免許を得ているスーパーにも安売りしたら次の免許は出さないぞという無言の圧力をかけているのが実状である。

税務署は一般的に酒販免許の交付時に「安売りは致しません」という念書を書かせていると云われている。

何故このようなことがおこるのかと云えば、酒造・酒販業界と国税庁・政治家が酒販免許の元に強く癒着しているからである。

3、次に全国酒販協同組合という小売酒販業者の全国的団体が、ビール券、清酒券といういわゆる酒の商品券(甲第四二号証)を発行している。この商品券を消費者が酒販店に持参すれば、どのメーカーのビールでも清酒でも自由に受け取ることが出来るのである。即ち、この商品券はあらゆるメーカーのビールも清酒も小売価格が全国的に同額だからできるシステムである。

これこそ酒販業界が全国的に価格協定を行い酒価を統一している見事なまでの証明である。

一般的に業界では価格協定は、公取委の万一の場合に備えて文書化されないとされているが、このビール券・清酒券こそ価格協定の文書化そのものの存在を示している。このような違法な価格操作によって、消費者は髙い酒を買わされているのであり、それを可能にしたのは酒販免許制によってアウトサイダーを排除し、酒販業界が利潤団体として、利益をすべて体制内に集結させ、強固な連帯を保ってきたからである。

4、東京小売酒販組合理事会の昭和二九年五月一七日の決議により、東京都に於て全国で初めてビールの冷やし料(当時二円)をとることになった。現在においては全国でビールの冷やし料(瓶ビールについては五円から十円、樽ビールについては三〇円から六〇円)がとられることになった、と「ビールの冷やし料はなぜ十円なのか」と題して朝日新聞が昭和六二年八月二七日付で報じている。

本来飲料水を販売する小売店が、最終消費の地謡にして販売するのは常識であり、それは他の飲料水が冷やし料等というものとられていない実状からしても明らかである。それにも拘わらず酒販店だけがビールの冷やし料をとることが出来るのは、酒販業界が酒販免許制に守られて、小数酒販店による市場独占が可能となっているからである。

5、以上のような次第で、最近ではまま酒の安売りを見かけることもあるが、一般には他の業界から比べて安売りは圧倒的に少ないと云っていい。

例えば、ある酒販業者が安売りをすれば、忽ち周りの酒販業者から突き上げられる。当該酒販店と取引のある問屋に対して圧力をかけ、当該安売り店への卸しをストップさせなければ、周りの小売店はボイコットするという脅しをかけるのである。酒販組合の意を受けて税務署までがさまざまな方法で安売りを止めさせようと必死になっているのが実状である。最悪の場合、上告人代表者が経営していた東菱酒造(株)のように、政治家と一体となって潰してしまうのである。

この点について、国会酒販問題懇話会会長代行の故岩動道行参議院議員は次のように述べている。

「市場の安定については、これをさらに押し進めるために昨年の増税時に衆・参両院で付帯決議がなされ、これに基づいて当局は一歩も二歩も踏み込んだ指導を行っている。安定を乱す業者に対しては厳しい対応がなされ、おおむね正常化が守られているようだ。一部のメーカーに直々売があるようだが、三層一体となって解決した東駒のように、うまく処理しなければならない。この点で当局にも多大の配慮を願っている」この場合の多大の配慮とは何を指しているのだろうか。

(「酒販ニュース、昭和六〇六月一日」甲第四三号証)

因みに、右にいう東駒とは東菱のことである。

6、酒販免許制の下、酒造業界および酒販業界は、既得権(髙利潤)確保のために新規業者の参入を阻止し、安売りさせないようにと、まさに、なりふりかまわず圧力をかけているのが実態であり、酒議員や国税庁に対する要求行動も、極めて露骨な内容となっている。以下に公刊物から具体例を拾ってみる。

(一)全国小売酒販組合中央会は国税庁に対して「新規参入者の規制を徹底し、免許の下付・移転免許ついては、組合に対する諮問制度を充分に活用すること」「消費者の協同購買に対する厳格な処置と乱売行為、直々売に対する規制強化を図ること」(「酒販ニュース第七九三号、昭和五九年五月二一日号・甲第四八号の六号証)

(二)また、小売酒販業界は衆議院大蔵委員会(昭和五九年七月六日)で、草川昭三委員をして、国税庁長官に対して「新規免許の運用には慎重な配慮が必要であろう。また、小売免許をもつ卸業者の直売が混乱の元になっている」旨の新規参入の排除、安売り防止のための露骨な質問を行わせている。しかも、これに対して山本国税庁間税部長は、「行政としても格段の努力をする」と業界の意に添う旨の回答をしているのである。(添付書類「酒販ニュース・昭和五九年七月二一日」甲第五〇号証)

(三)、さらに、全国小売酒販組合長は、現在の「事実上の統一価格」を大ぴらな公定価格にまで高めようと画策している。

即ち、同会は不況カルテル締結による酒の再販価格の設定を検討しており、そのための障害となる独禁法自体の改正に向けて国会酒販問題懇話会に政治的圧力をかけることを、明確に決定しているものである。(添付書類「酒販ニュース第七九九号・昭和五九年七月一日号・甲第四九号証)これは、まさに公然と価格協定を正当化し、これを法的な盾として安売り業者を強権的に規制しようとする企みである。

(四)、酒販業界は、こうして新規参入者の排除と、安売り防止の強化を狙って既得権を確保するために多数の酒議員に巨額な政治献金を渡し、国会や国税庁を有利に動かそうとしている。例えば、酒販組合の五九年度の事業計画では政治連盟の会費が五〇〇円アップされて政治献金の財源が八〇〇〇万円増えている。こうした政治献金を「効率的に使わなければならない」と云ってみたり、「法改正には政治力を抜きにしては考えられない、信頼ある先生(代議士)との協調は必要だ」と、政治献金の有効利用を高らかに吹聴しているのである。(「酒販ニュース・昭和五九年三月二一日」甲第四七号証)

(五)、そして現に、日本酒造組合中央会もまた、三つの政治団体をつくり、巨額の政治献金を酒議員にばらまいているのである。すなわち、昭和五九年度収支報告書によると酉政会五五四六万円、東友倶楽部一七〇五万円、地域産業研究会二七三八万円等、合計で八五三〇万円に上っている。

その支出先は国民政治協会をはじめ、現蔵相、自民党税調メンバー、大蔵族、農林族等である。しかも業界の幹部自身が「税制、酒造免許の制限等で効果がある」と政治献金の効果を認めているのである。

(六)、国会酒販問題懇話会の一員である原田昇左右代議士(元建設大臣)は昭和五八年一一月、小売酒販組合員に対して、選挙について自分への支援を依頼するに当たり、酒販問題懇話会の議員が一丸となって国税庁と協議し、東菱を滞納処分に火口して取りつぶしたと次のように述べている。

「貴殿をはじめ小売酒販の皆様のご期待にお答えすべく、国会酒販問題懇話会のメンバーとして、国政の場で皆様方のお役に立つように努力して参りました。今年の一月に皆様にお手紙を差し上げて約束いたしましたが、酒販組合の皆様方と共に努力した甲斐あって、お約束を実現することができましたので、その経緯を報告いたします。まず、酒販の免許制度につきましては、臨調と協議を重ね、酒販制度の歴史的意義と保税上の意義、青少年に対する社会的な意義等、免許制度の必要性を強く訴え、臨調側を説得するに成功しました。また、東菱問題では国税当局と協議を重ね、滞納処分に踏切りました。東菱問題では私も清水の宮城島さん(組合長)、静岡の大石さん、藤枝の増井さん、島田の八木さん(何れも組合長)らの理事長さんたちから相談を受けておりましたので、是非ともお役に立ちたいと思っておりまして、年初より何度も国税庁と協議したり、担当秘書を東京へ出張させたりして、皆さんの意見を拝聴したりして、心を砕きましたが、何と云っても大きなちからは鈴木善幸前首相を会長にいただく国会酒販問題懇話会のメンバーが一丸となってことにあたったからに外なりません。東菱の問題については、当時既に訴訟が行われており、難しい問題で、酒販免許制のからむ大事な時期でもあって扱いには大変苦労しました。下手に公けの場で取り上げられますと、マスコミが騒ぎ出して免許制そのものがあやふくなるという虞れがあったからです。多勢な中には不心得な者もおり、苦労いたしましたが、何とか事なきを得て東菱押さえ込みに成功致しました。当初心配した生協の動きも封ずることができ、東菱離れを起こす結果となり、安堵いたしております」(清水小売酒販組合長宮城島重夫の手紙」甲第六〇号証の一・「衆議院議員原田昇左右の手紙・甲第六〇号証の二)

(七)、酒議員の代表格(国会酒販問題懇話会代表代行)であった故岩動道行は、こうした業界の要請に応え、全国小売酒販組合中央会・東北ブロック研修会(昭和六一年三月三日)に出席し、

「免許は第二臨調の中でも自由化論が高かったが、署名運動が奏功して阻止できたのだが、現実には増えて(免許が)おり遺憾であるが、世の中の様相が変わっているのでやむを得ない場面もあるが、頑張らねばならない。東北では嘗て東駒が騒がれて難事であったが、滞納処分の思い切った方法で決着、行政決断で解決した。公正競争規約はみんなの力で一〇〇%活用すべきなのに、なおかつ廉売行為があるとすれば、検討を加えて、その対応を酒税法・酒団法改正に踏み込まねばならなくなる」

等と、東駒(東菱)つびしや、新規参入の排除、安売り防止のために何れも違法な活動を公然と行っていることを強調しているのである。(添付資料・醸界協力新聞一八七二号・昭和六一年三月二一日・甲第五六号証)

ちなみに、昭和六一年六月二四日、故岩動道行議員の政治団体「道交会」が、昭和五七年~五九年の三年間に、全国小売酒販政治連盟から九五〇〇万円の政治献金を受けながら二〇〇〇万円しか自治省に届けていなかった。

これについて、酒販政治連盟側は

「岩動議員はじめ懇話会の先生たちには、いろいろお世話になっている。

何もなければ大金を献金する筈がないであろう」

と、云っている。この「お世話」とは「当時、小売酒販業界では、一部の安売り業者による酒販免許制度廃止などを求める動きがあり、これを潰すために政界工作があったと云われている」

としている。(毎日新聞昭和六一年六月二四日・甲第五九号証)

まさに、この「安売り業者」とは東菱酒造(株)そのものである。

以上みてきたように、酒造業界・酒販業界、それに政治家・国税庁が四者一体となって、酒販免許制を盾に価格協定や、新規参入者の排除、安売り業者に対する弾圧等を通じて酒価操作と酒価維持を行い既得権(髙利潤)を確保して、もって消費者の利益を阻害し、かつ物価安定の阻害要因をも形成したものである。まさに百害あって一利なしというべきである。

第三、結語

依って、上告人はあらゆる角度から検討を加えてみたが、酒税法九条は違憲たるを免れない。

以上

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